【懐旧譚】雨宮天 BEST LIVE TOUR 2022 -SKY-


こちらは2022年2月27日から3月27日にかけて行われた、"LASWSON presents 雨宮天 BEST LIVE TOUR -SKY-"への懐旧譚。

 

2月27日(日)愛知芸術劇場 大ホール

3月20日(日)グランキューブ大阪

3月27日(日)パシフィコ横浜 国立大ホール


【Prelude】雨の糸


夜の帳にキーボードが映し出され、奏でられ始めたのは『雨の糸』。

 

1サビ終わりまでは柔らかな雨音。

 

「夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ」

 

と与謝野晶子が『みだれ髪』の巻頭に記しています。

(口語:夜の間、ざざめくように星々は輝いていましたが、下界の私たちは鬢をほつれさせ、心みだれています)


日々の喧騒を優しく包む夜半の雨みたいな演奏に心も身も預けながら、思わずこの一節を思い出しておったのでした。



「日々揺らぐ心の喧騒を優しく閉じてくれたり、逆に向き合う養分になってくれたのはこの雨だったなあ」などと、曲が進むにつれて思えてきて。

 

フランツ・リスト原曲である『愛の夢』第3番 - 変イ長調を基調としたこの曲。

 

歌唱がなかったわけだし、ここでは『愛の夢』の演奏と書いた方が適当だったのかもしれないけれど。

でも、やっぱり僕にとっては『雨の糸』なんだよな。

 

これまでの日々を優しく思い起こしてくれるような、雨音。


杜甫の漢詩に次のようなものがある。

  

<書き下し>

落日 船を放つに好しく

軽風 浪を生ずること遅し

竹は深し 客を留むるの処

荷は浄し 涼を納るるの時

公子は氷水を調え

佳人は藕糸を雪う

片雲 頭上に黒し

応に是れ雨の詩を催すなるべし

 

<口語訳>

夕陽は落ちて 船を出すのにちょうどよい

微風が吹いて 波はゆるやかに揺れている

客待ちの岸に 鬱蒼と竹がしげり

夕涼みの時刻 蓮は清らかに咲いている

貴公子たちは 氷をいれた水を用意し

妓女たちは蓮糸を綺麗に洗っている

頭上に一面 雨雲が黒くたちこめ

これはきっと 詩を作れと促しているのだ

 

この漢詩から生まれたのが「雨詩を催す」という言葉。

数多ある「雨」を表す言葉の中でも結構お気に入りの言葉だったりする。

 

この漢詩は船遊び(宴)に出かける際の詩。

ふっと気が付く周りの景色や周りの人々の様子がありのままに、写実的に愛しく描かれていて好きだ。

 

ベストライブツアー。

思えば、この7年の宴は愛しいものに囲まれ、雨に心を動かされ続けながらここまで流れてきたように思う。

 

雨が繋いだ天と地

一つだけ守りたいものは

今も君の心を

震わせていますか

 

昔も、今も。

 

 

雨宮さんのライブの感想を書いているはずなのに、Youはなぜ杜甫の漢詩の書き下しを?


こんな風に引用に引用を重ねていくから、傍に置いたサイダーは次々と炭酸水をやめていくのだよ。


 

さて、「万糸雨」という言葉がある。

(懲りない)

 

「雨」を表す言葉の中で、とりわけ好きな言葉。

この曲を表現するに、最も適した言葉だと思う言葉。

 

無数の糸を垂らしたような細かい雨。

細かく幽かで柔らかい、春の雨。

草木の若い芽が萌え立つ野山へ、無数の細かい糸のような春雨が降りかかる情景。

 

優しく潤し、そっと成長を助ける雨。

 

『雨の糸』は曲全体を通してこの「万糸雨」を降り包む情景を想起させる曲だよね。

それは同時に、これまで一緒に過ごしてきた日々を呼び起こす。

  

優しく、大切で、愛しい日々。

 

 

「そんな目をして 明日を眺めず 眠りなさい」

 

と、 思い起こすだけで「明日」への眼差しを優しいものに、また意志を帯びたものへと変化させてくれる日々。

 

 

名古屋公演の終わりにそんなことを思って、あとの大阪・神奈川両公演はこの気持ちを反芻するように演奏に陶酔していたのでした。

 

「夜の帳にささめき降りし雨の今を下界の人の鬢のほつれよ」

 

こっちの方が好きだな、晶子。

 

「勝手に改変したことに、髪を乱して怒ってきそうだな晶子」と思ったけれど、誕生日同じだからきっと許してくれる。


 

1サビに差し掛かる頃、雨脚が強くなる。 

ピアノの音が激しさを帯びていく。

 

その頃に差し掛かると、ダンサーさんたちが姿を現す。


袖を絞ったような衣装が印象的で。


その絞られた袖が宙を舞う様子が壁面に影として映し出されるのですが、それがまた神秘的でね。


まるで、雨を喜んでいるような光景で。


九州の言葉に『雨訪』という言葉があります。

これは大雨の後に近所の人へ訪れるという意。

すごい雨に降られた後に近所の人を様子見に訪ねては、「あの雨凄かったねぇ」「今年の収穫はどうかねぇ」なんてお話する習慣を指した言葉。

なんか、雨を喜んでるみたいで可愛いでしょ。

そんな風に、なにか凄いものを毎度届けられては、「あれ凄かったねぇ」「これからどうなっていくのかね」なんて、雨訪みたいに周りの人と過ごしてきたなあと思えていて。

そんな風に降り注ぐ雨音に喜んでいた日々を思い出しながら、またみんなで、まだみんなでこうして雨に打たれることができることに、込み上げる想いを感じながら、聴き入っていたのでした。

【1】Fluegel


階段上にばばんっと現れ、歌唱されだしたのは『Fluegel』。

 

 

 階下ではダンサーさんが舞っているんだけれど、これもまた壁面に映る影が妖しさを醸し出していましたね。

この曲が持つ神秘性が可視化されていたように感じていたのでした。

 

「私は、この「Fluegel」からはすごくシャーマンを感じて。イメージとしては、乾いた大地で、近代的都市生活からは離れて自然と共生している人々がいて、その集落では祈祷師が重要なポジションを占めているみたいな。そういう世界観の中で、集落の期待を一身に背負ったシャーマンが強い祈りを捧げる。そんなイメージで歌いました。」

 

「ちなみに私のイメージするシャーマンは年齢的にはまだ20代と若いんですけど、10代で祈祷師デビューしているので祈祷の経験は十数年積んでいるんです。なおかつ、このイメージ上の世界では人の寿命自体がそんなに長くはなく自然の流れに任せているような……。」

 雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

とインタビューでお話されていましたね。

CD音源の時点もその強い祈りを帯びた歌唱に魅せられてライブで聴けるのをすごく楽しみにしていたんですけれど、想像の何倍も、何倍も心地よい圧倒でしたね...。

 

それに付随して印象的だったのが、 Dメロのキーボード、ちゃんへー2022さんが荒ぶっていたところ。

「あれ、CD音源ってこんなに荒ぶっていたっけ」と思ったりするくらい、大きなアレンジで。

 

 

 

正直、あの部分をツアー中に上手く噛み砕いて曲に与えた変化を言語化できるに至らなかったんですよね。

ちょっと心残りだけれど、日常の中でまた普段聞きしてる時にわかったりするのかな。

 

なんだか、ごちゃごちゃとした音が鳴っていて。

「葛藤」とかかなあなんて体感値では感じていました。

 

 

そうそう。

歌唱される雨宮さんの左横に影が浮かんでいたんですけれど、それがなんだか持霊みたいに見えて。

(シャーマンキングの阿弥陀丸みたいな)

 

シャーマンの世界観を少し深く感じられて、あれはいい影でおじゃった。

 

 

あとあと、なんと言ってもサビの「旅人は」の歯切れが気持ちよくて、横に打つ雨宮さんと同じように体がガクンガクンなりましたね...。

 

とりわけ圧巻だったのが、サビ終わりのロングトーンかな。

 

「暗がりに迷っても 未来が見えなくても 

 "祈り"が 絶えぬように」

 

声の伸びが、どこまでも伸びていくようで気持ち良くて。

 

『Fluegel』はドイツ語で「翼」を意味するけれど、暗がりを突き抜けその翼でどこまでも飛んでいくかのような、真っ直ぐ、澄んだ力強さ。

 

1B、2Bでダンサーさんが連動して衣をぐるぐると回すシーンがあったのだけれど、あの光景は「風」が吹き抜ける様子のように受け取っていて。

 

風に乗ってどこまでも飛んでいく姿。

 

そんな姿を、どこまでも伸びていくようなロングトーンに乗せて感じていたのでした。 


【2】永遠のAria


曲入りを階上で歌唱された後、イントロ演奏を纏いながら階段を下る。

 

1A入る手前。

階段を降り切って立ち位置まで少し歩かれるのだけれど、ちょうどその部分でスポットライトが上手い具合に当たり、下手側壁面に「凛と歩いていく姿」の影が映るのですよね。

 

そのまっすぐ前だけを見据えた影が、この曲寄り添う物語にピッタリで、綺麗だったなあ。

祈りの後の2曲目というか、『Fluegel』が旅の始まりだとするなら、『永遠のAria』は過酷で時に優しい旅の道中なのかな。

 

雨宮さんの歌唱から受けた印象がまさにその「過酷で時に優しい」のところで。

声グラ5月号のインタビューで、

 

「サビとAメロ・Bメロとの差も注目してもらいたいです。サビが必死なのに対して、Aメロ・Bメロはエリザベスを思わせるような柔らかさや、悲しみに寄り添うようなバラードチックな雰囲気があるので、その辺りの差も聴いていただけたら嬉しいです。」

 

とお話しされていましたね。

まさにそのメリハリが心地よくて。

 

特に強くそれを感じられたのは2番の歌唱。

 

「差し出した手の先には 

怯えて揺らぐ 枯れた涙と失望の目」

 

「その痛みわかるよ

 わかるから分け合えるよ」

 

この2A、2Bの声色が寄り添って抱き留めるように優しくて、踏ん張ってないと膝から崩れそうになる。

 

加えてライティングも交えてお話すると、2Aの部分は緑っぽいライティングがされていて歌詞や歌唱も相まって「迷いの森」みたいなイメージで可視化を受け取っていて。

 

それが2Bになると、赤いライティングに替わる。

赤はエネルギー。

 

先述の2B歌詞「その痛みわかるよ わかるから分け合えるよ」という歌詞は直後に「何も恐れず 手を握って」という歌詞を携えている。

 

ただ痛みや悲しみに寄りそうだけでなく、強い意志を発露に相手の手を引いて駆けだせるようなエネルギッシュさを、その「何も恐れず 手を握って」という雨宮さんの強い歌唱に感じさせてもらっていて。

 

そしてそれがまたサビの必死さ溢れる歌唱にスカッと昇華するんですよね。

ライティングも赤から白へと移ろいでいて、パッと視界が光に開けたような。

 

もう気分的には、空飛んでいる気分ですよ。

 

 

この曲のOPタイアップ先となった七つの大罪シリーズTVアニメ最終章『七つの大罪 憤怒の審判』。

 

書いていてようやく気が付いたけれど、「手を握る」という歌詞は同じく雨宮さんがタイアップされた『七つの大罪 戒めの復活』のED楽曲『誓い』にも記されている歌詞ですよね。

 

『誓い』の方の「手を握る」という行為は、作中のエリザベスや七つの大罪の彼ら彼女らが直面している状況も相まって、相手に寄り添い「包む」様子として描かれているように受け取っていて。

 

実際の雨宮さんの歌唱も、グーをパーで包むイメージ。

(結果、相手のグーが解けてパーになって、恋人繋ぎみたいな)

 

でも、『永遠のAria』の方は、先述したように「分け合う」様子として、そして「手を引く」様子としてその行為が描かれているように感じられていて。

 

なんか、こう、本当にあの『七つの大罪』っていう作品で描かれていた彼ら彼女らの成長がこの差異からも想いを馳せることができて、素敵だなあと思っておったのでした。

 

この曲の雨宮さんの歌唱、大好きなんだよなあ。

ライブでよりその思いが増した感じがあって。

 

A・Bメロの優しい歌唱とか、サビの絶唱具合とか、「どれだけを与え 手放してゆくだろう」におけるロングトーン部分での声の伸びとか。

 

「咲き誇って 前を向いて」のフレーズ大好きなんですが、ライブ歌唱で受ける強き歌唱、鳥肌立ちますわね…。

 

 

んー。

 

なんかこう、歌ってだいぶ特殊な文学だなあと思っていて。

 

「詞」の段階では「詩」とあまり大差なく、ぴょんっと文脈が跳んだりするし、文脈を読む必要がどうしたってあって。

ただ、歌というのは「声」があり、「テンポ」があり、聞いている側はその言葉の渦に飲み込まれるしかない。

 

だから、文脈がわからなくても、ぴょんっと文脈が跳んでも受け入れることができるし、そのままその言葉の渦に巻き込まれていくことができる。

それでいて、わからないまま突き進んだってそれだけなら何も響かないはずで。

 

その文脈の跳び方を支えるのが、メロディーだけでなく、「呼吸の仕方」や、「声の強弱」、「声色」であったりするのかなあと思っておるのです。

 

この曲は雨宮さんのそういった武器をたくさん感じられて、特にライブだとそれがより厚みを増して届けられて楽しくもあり、感情を煽られるなあと感じておったのでした。

 

 

差し込めそうな場所がなくなって急に挿入するけれど、Aメロのクラップを「天ちゃんバンド」のメンバーが煽っていて。

すごくライブ感が感じられて、素敵な光景だったよね。

 

2サビ終わりの間奏、光に消えるシルエットもエリザベスみたいで。

 

綺麗だったなあ。

 


【3】蒼天のシンフォニア


《雨宮》

みなさん、"SKY"へようこそー!

今日は一緒に楽しみましょー!

会いたかったよ、○○(名古屋/大阪/横浜)!

 

 

凛々しいイントロ部分で下手影に映る影。

大きく映った像に光がふわっと客席の方へ駆け抜けていってて、幻想的でしたね。

 

歌詞や曲の雰囲気的に「出立の曲」というイメージを抱いていたりしたりしていたのですが、アニメのオープニングにありがちな「崖上に立っている人の背後からカメラが風のようにグイッとパンする」あの画みたいな影でした。

 

なんか、影の話しかしてねえな。

 

 

イントロ、笑顔でシンバルに合わせて拳を打つ姿。

楽しそうで、こっちまでとてもニコニコになってしまったものです。

 

 

『蒼天のシンフォニア』の歌唱、従来の楽曲にはあまり馴染まない味付けがされているようで、面白いんですよね。

 

 

1サビの「轟け天まで」

2サビの「夜明けの時まで」

 

同じメロディーラインの部分にあてがわれている歌詞ですが、雨宮さんの歌唱は味付けが変わっているように感じるのです。

 

 

轟け天まで」の「」はファルセットを用いて歌唱されていて。

 

一方で、「夜明けの時まで」の「時」には地声ベースの音が正確に当てはめられていて。

 

 

同様に1Bの「瞳に映る未来の為」の「為」は地声ベース。

 

一方で「鋼の意思に色彩を」「を」にはファルセットが用いられている。

 

 

んー。

どういう線引きなのかな。

 

ファルセットが用いられている「轟け天まで」「鋼の意思に色彩を」という歌詞は気高く荘厳な印象を与える言葉だなあと思っていて。

 

だからファルセットでそれを演出してるのかなあと。

 

一方で、「夜明けの時まで」「瞳に映る未来の為」の方は、言葉からはイメージし辛いんですけど、歌唱からは言葉の裏に重厚な決意が根を張っているようなイメージを受けて。

 

歌詞のイメージで歌い分けてんのかなあ、なんて受け取っています。

 

勝手な推測だけれどね。

 

CD音源、そのファルセットが大好きで「これはライブで浴びたら天に昇ってしまうのでは」とワクワクしていたのですが、無事にとても清い気持ちになりました。

 

 

「『Fluegel』が旅の始まりだとするなら、『永遠のAria』は過酷で時に優しい旅の道中」なんて前述していましまた。

 

この曲はその道程を経た後、「澄み切った青空をどこまでも飛んで行く情景」が歌唱から脳裏に浮かぶようでございました。

 

「so far away we sing for blue sky」

 

まさにね。

そらもう、ニッコニコで口遊んでて。

楽しそうで、可愛くて。

 

楽しかったなあ、本当に。


MC1

「うわー、久しぶりー!久しぶり!大対数の人は久しぶりになるのかな?嬉しいね、名古屋に来ることができました!いやー、そうだよ、ツアーの初日が名古屋ということで個人的に名古屋好きだから、名古屋飛ばししないで来れてよかった(笑)」

 

と再会を嬉しそうにしていた名古屋公演。

 

 

「グランキューブ元気ー?なんだろ、これさ、みんなに聞くのもなんなんだけれど、私、ここに来たことある?あ、ある?そうか、だからwi-fi繋がったんだ(笑) ただいま!てっきり初めてかと思ってさ。さっき自然と繋がってビックリしたんだよね!」

 

と開幕からの距離感の詰め方が可笑しかった大阪公演。

 

バンドメンバー紹介でじろっちが敢えてデモ演奏せずにお茶目を覗かせた横浜公演。

 

 

ああ、ライブっていいなあって。

楽しいな、あったかいなって感じておったのでした。

 

 

バンドメンバー紹介

■天ちゃんバンド

荒幡亮平:ちゃんへい2022(Key.&バンマス)

奥野翔太:おっくん(Ba.)

田中航:わたちょ(Dr.)

宮永治郎:じろっち(Gt.)

※愛知公演は城石真臣:おみー(Gt.)


【4】PARADOX


イントロ部分の歌唱を終えてから、ダンサーさん4人が合流。

 

甘い、あまあまに甘い…。

 

「ふひいぃぃぃぃ」とかいう奇声を漏らしそうになる。

パラサイトじゃないよ、パラドックス。

 

 

ひーざ、もーも、かーた、あたま、ぽん。

 

楽しすぎて稚児にもどってしまう。

この振り、あのメロディーラインに対する稚児共の手持ち無沙汰感を完璧に回収してて、楽しいのよね…。

 

わはー、楽しそう…。

 

可愛い…。

 

 

「芯の強い曲を歌いたいということを伝えてきたし、そうやって皆さんと一緒に作り上げてきた雨宮天像というものがあったからこそ」、挑戦できたんですけど…」

雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

 

挑戦にしても、名古屋初日でスクリーンに♡マーク出てくるくらいまで来ていたことに気が付いた時はもう、笑いむせてしまった…(笑)

 

いやあ、ほんとビックリだよね。

こういう日が来るなんて。

 

本当にいろんなことに挑戦されてきたなあって、曲中にしみじみしていて。

 

20年の“The Clearest SKY”。

『PARADOX』の歌唱後に届けられた「ありがとうございます!これからもいろんな雨宮天を受け取ってください!」という叫び。

 

以降、アルバム『Paint it, BLUE』に『君を通して』や『フリイジア』と幅広い楽曲に挑戦されていたり、作詞作曲もさらに3曲増えたり、コロナ禍の『そらのはるやすみ』や『てくてく天ちゃん』といった新たな方向へのチャレンジもあったり。

 

本当に、あの『PARADOX』以降だけをとっても、いろんな雨宮天を届けてくれていたなあって思うのです。

 

「お陰でとても楽しい時間だったし、いろんな気付きもあったよなあ」なんて思いつつ、これからはどんなことに挑戦されていくのだろうなんて、ウキウキとした歌声に心躍らされっ放しの時間だったのでした。

 

4月から始まる『理系が恋に落ちたので証明してみた。r=1-sinθ』。

 

そちらの主題歌として決まっている13枚目のシングル『Love-Evidence』。

 

MV撮影ではダンスを頑張ったというようなお話もされていましたね。

 

どんな挑戦になっているのか、続報が楽しみなのじゃ。

 

 

あとあと。

Aメロ頭に黒板(ダンサーさんはノートかな)へなにやら書いている振りがありますが。

 

あそこで、何かを書いている振りに合わせてバインダーノートに挟んだノートにメモしながら、メガネくいってやると、数学で赤点をとり続けていた僕でもリケ女になれるので、僕は好きです。


【5】夢空(青春アレンジver.)


ちょいちょいちょいちょいーーー!!!!

 

「このイントロなんだろう!どの曲に繋がるのかな!」なんてワクワクしていたら、聴こえてくるはずのない歌詞が耳にそよいできて、ビックリしたよね。

 

 

ミルクごくごく飲んでいて唐突に哺乳瓶とりあげられた赤ん坊みたいな顔になったよね。

 

 

受け止めるのに数秒時間を要してしまったけれど、幸せすぎて溜まらなかったなあ。

 

 

少し明るめのセピア色した、ノスタルジックなライティング。

スクリーンには澄んだ青空。

柔らかな光芒の中で嬉しそうにしている姿。

 

思い出すのは2014年の、『Skyreach』プレリリース/リリースイベント。

 

50人から100人くらいの会場で、ひとりひとりに目を合わせ、微笑みかけるように歌い届けてくれていた楽曲が、こんな光景に繋がっているとは。

 

あの頃の真意はご本人にしか分かり得ないところだけれど、ああやって目を合わせるように歌い届けてくれていたのは、「これからよろしくね」みたいなコミュニケーション、関わりを持とうとしてくれていたように受け止めていて。

 

本当にあの時は、すごく優しくて美しい時間が流れていたように強烈に憶えていて、今でもすごく愛おしいのだけれど。

 

でも、今回の、あの頃とはまた違った歌唱。

 

楽しそうな笑顔とか。

間奏でぴょんぴょん跳ねたり、拳突き上げ煽る姿とか。

腕を広げながら歌詞を届ける姿とか。

ラスト「輝く未来へ」で遥か先を指さす姿とか。

 

後のMCでこのアレンジを『青春アレンジ』と形容されていたり、同様に「今が青春」みたいな話をこのライブ中だけでなく各場面で度々してくれるけれど、今のコミュニケーションの取り方というか、「一緒に過ごす時間に感じてくれているグルーヴはこんな感じなのかな」って勝手に思っては、勝手に泣きそうになっていたのでした。

 

 

Skyreachのプレリリースイベントで、「『夢空』は『Skyreach』と比べて暖色のイメージ」という趣旨のお話をされていて。

 

「いつかたくさんの青に囲まれて、本当に心から幸せを感じてもらえる空間の中で、暖かさを感じてほしいなあ」なんてエゴが満たされていたのが、16年の“Various SKY”や18年の“The Only SKY”での歌唱だった。

 

でも、まさか、まさかこんなベクトルの暖かさが届けられるとは思わんやん。

 

届けられる歌詞の全部がまた異なる意味合いというか、「ここまで歩んでこられた雨宮さんだからこそ感じさせるもの」があって。

 

 

そうだなあ。

 

これから私は 何が出来るかな?」が瞬間最大風速で僕の喉奥をキュッと締めに来た歌唱で。

 

一端、僕らが慮りきれていたのは本当に一端だったと思うのだけれど、何度も揺らめぎながら(でも意志をもって)進まれる姿をこれまで幾度か拝見していて。

 

あのリリイベの頃、この歌詞は「揺らぎの中で夢見ている人」みたいなイメージであって、「本当にこの人は、これから先どうなっていくのだろうな」みたいな高揚感とか、一方で、その人の人生が狂わされていくような勝手な感覚とかもあって、いろいろ、いろいろと考えることもあって。

 

でも、今回のこのアレンジで「これから私は 何が出来るかな?」が届けられた瞬間、なんかもう込み上げるものが大きすぎて、大きすぎてつっかえちゃった。

 

本当にすごく楽しそうで、歌声に希望しかなくて、これだけ広くて大きい会場でたくさんの青に包まれて、笑顔で。

 

「あの頃と違う」じゃなくて、本当に、いろいろと積み重ねてきたんだなあって。

 

夢であるのに儚くない。

それを掴むための道を当人はきちんと見つめているなって。

 

 

1stライブ “Various SKY”大阪公演のときに書いた感想ブログ、『夢空』の箇所に

 

これからあなたは何を成して

これから僕は何が出来るんでしょうね

 

きっと何度も揺らめきながらだけれど、あなたを代弁者にするんじゃなく、ちゃんと自分で自分を頑張りたいな。

 

なんて書いていますね。若い、苦い。

 

そんなことを書いていたのはスライダーの握りみたいに忘れていたのだけれど、ライブ中、「藻掻こうとは頑張ってこれたな」と思えたので、それくらい、これまでは幸せな時間だったんだなって思います。

 

 

夕焼けに染まるステージライト。

トンボみたいにずっと、あの夕焼けに染まっていたいと思った。

 

 

遠くからいつかの 優しい声が聴こえる

 

耳に手を当てこちらを伺わなくても、もう届いてるんだね。

僕は遠くからいつかの優しい声が一気に押し寄せてきて、溺れ泣きそうでした。

 

遠くからの優しい声を力にして駆けてきた人の姿を見て、ちょっとだけ泣いた。

 

楽しそうな笑顔。

飛び跳ねる姿。

ロックだよ。

 

 

『夢空』のアレンジについては、横浜公演のMCの中で作成過程をお話されていましたね。

 

2022年に入ってバンドメンバー陣と制作を重ね、レゲェ版から始まり3~4パターンのアレンジ作成、最終的には「いや、もっとストレートに盛り上がりたいっしょ」と青春パンクロックへのアレンジとなったお話をされていましたね。

 

 

雨宮さんは「バンドだからできるもを全て試してくださる」ともお話をされていたけれど、ライブ中の演奏で随所にCDとは異なるアレンジがされていて、それはライブだから生まれる呼吸だと思うんだけれど、そういうのすごく素敵ですよね。

 

全部を言語化できるような感情として掬い拾えているとは思えないけれど、1分1秒あの瞬間、生バンドのお陰で楽しかったなあ。

 

 

音源が欲しいです。

音源が、欲しいです。


【6】Shu!Bi!Du!Ba!


幸せなサプライズの余韻の中、虹色のライトに包まれショーの開演。

 

ダンサー2名を引き連れ歌い出されたのは『Shu!Bi!Du!Ba!』。

 

 

ここからの流れで歌われる曲たちはそれぞれベクトルの違う、本当に曲の幅が広いラインナップになっていたと思うんですけれど、その1曲1曲を次々に演じ可視化していく雨宮さんを感じられた流れだったなあと。

 

強いて結びつけるなら、どの楽曲も時間帯は「夜」だったのかなあと。

 

それぞれの楽曲が夜闇の中で過ごす人の物語のように感じられて、曲それぞれのベクトルが異なるように、環境や抱えた想いが異なってくる人物たちを20分足らずで雨宮さんが演じきったみたいな感覚でした。

 

本当にすごい曲幅で歌われている人だなあと思ったし、テレビのチャンネルを変えたみたいに異なる物語1つ1つをしっかり可視化できる雨宮さんの表現力にまたひとつ泡を吹いたのでした。

 

 

あまりに曲に入らず長話してしまったのでイルカたちが泡で遊び始めてしまった。

 

 

『Shu!Bi!Du!Ba!』はもう、幸せしかなかった…。

 

歌詞にある「失くすもの もうないから」「孤独の道中」

 

『Shu!Bi!Du!Ba!』はメロディーラインはとても明るい曲だと思うんだけれど、歌詞からはタイトルとか曲調から感じる印象とはまた別に何かダークな感じを持っていて。

 

「Spotlightを探してる」

 

この曲は、自分が輝ける場所への逃避行の曲だなあって受け取っていて。

普段聴きしていると、その感情に自分も乗せられて知らずのうちに気持ちを前に向けてくれる曲であるんだけれど、ライブだとまた一味違うんですよね。

 

前回この曲が歌われた18年の『The Only SKY』もそうだったんですが、雨宮さんの歌唱やパフォーマンスが凄すぎて、幸福しかない。

 

 

「今夜は楽しんじゃうわー!」みたいなノリノリなかわいらしさだったり、ちょっとませてセクシーな大人っぽさを出しているようであったり、格好付けていたり。

 

歌唱やパフォーマンスの随所にそれが見られて、まさにDメロにある「夢のステージ」が空間としてそこに成立していて、ビックリして、安堵する。

 

「あ、ちゃんとSpotlight見つけられたんだ」って。

 

(18年の『The Only SKY』は次曲の『羽根輪舞』演出が考察に考察を呼んで、結局この『Shu!Bi!Du!Ba!』は『羽根輪舞』の夢オチみたいな見方に自分はなってしまったんだけれど)

 

今回のライブだったら、2Aに入る前に下手から上手へ移動しながら、あの浮かれたメロディーに乗ってクルッとまわってみたりしている姿とか、とても印象的だったなあ。

 

その1サビ終わりの間奏でダンサーさんがもう2人増えると、ステージ上は天ちゃんバンドも含め大人数で豪華な仕様になっていて。

 

バンドメンバーがいる『Shu!Bi!Du!Ba!』も、趣があって良きでしたねー。

 

大阪で気づいたんだけれど、2Aでちゃんへー2022さんがアレンジ入れて荒ぶっていて。

 

その『Shu!Bi!Du!Ba!』のステージがまさに今、『Shu!Bi!Du!Ba!』の主人公と楽器隊の間にジャズ的な関係でその場限りの音、その場限りの幸福なステージとして生まれていっている感じがあって、とても良かった。

 

あとは、ギターのおっくんがアップライトベース弾いていたもこの曲ならでは感がありましたよね。

 

あまり楽器に明るくないので音の差異がどうなるのか分かってないけれど、あのすごく幸せな『Shu!Bi!Du!Ba!』を構成していた大きな要素だったんだろうな。

楽器、ちょっと勉強したいなあ。

 

 

そして、Dメロの部分。

雨宮さんが「Let's dance !」と煽るとそれに呼応するように楽器隊が音を奏でていたあのシーン。

あそこもジャズ感あって、気持ちよかったなあ。


【7】Emerald


『火花』っぽいキーボード演奏の合間に衣装がマイナーチェンジされて、歌唱されだしたのが『Emerald』。

 

ガラッと雰囲気が変わりましたね。

筒美京平さんっぽい「ババン!」という入りがメロディーラインに入っていたり、一気に歌謡曲ムードに。

 

 

衣装の影響かな、名古屋公演でAメロを聴いた途端に「お忍びで城下に出てきて、船乗りに恋しちゃったお姫様っぽいな」と思ったんですよね。

そのお姫様が、もうこの国にはいない船乗りに想いを馳せるみたいな情景が、頭に浮かんでいました。

 

そうねえ。

哀愁ある歌詞や雨宮さんの歌唱表現もあって、とても切ない気持ちになったのでした。

 

Aメロ、並べられた歌詞を明朗に抑揚つけて歌唱されていく雨宮さん。

このAメロの、情景が淡々と紡がれていく歌唱のリズム感であったり抑揚が心地いいんですよね。

 

でも、雨宮さんの歌唱からはどこか「女性らしい強さ」も感じられたんだよな。

 

その「強さ」は歌謡曲でよく歌われる「誰かを待つ女性」の強さだと思っていて。

 

大人びた強さがあって、それは歌謡曲が「男性の奔放さ」を描いていることが多いこともあってより女性の我慢や強さ、悲哀が際立っているのかもしれないんだけれど、でも歌詞には女性の内面的な哀愁が描かれていて。

 

その女性が在ろうとする表層と内に閉じ込めた想いに大きな隔たりを感じるからこそ、それがアンプとなって「哀愁」をより訴えかけるんだろうな。

 

雨宮さんの歌唱もその「哀愁」をシンプルに増大させることに技法を凝らしているかのような歌唱で、陶酔しちゃったなあ。


【8】Catharsis


雨宮さんが名演すぎる...。

なんかこう、Catharsisちゃんとなら一緒に不幸になっていっても良いかなって思っちゃった。

 

イントロ、猫の鳴き声から始まるこの曲。

 

タイトルの綴りから猫という題材が用いられていると思うんですけれど、その発想が面白いですし、「カタルシス」っていう概念にピッタリですよね。

 

そうそう。

ステージ上部、「猫の目」に見える空間があったんですよね

 

スクリーンと白い垂れ幕?の間、そこの黒い空間が「猫の目」みたいな形状を成していて。

 

さらに、「瞳」にくるであろう位置に天井からぶらさげられた玉がね、ちょうどピッタリの座標でぶらさがっていて。

 

曲中、深いブルーの瞳がこっちを覗いているんですよね。

曲の雰囲気をぐぐっと妖しくしてて、趣深かったなあ。

 

あれが本当に猫の目だったのかは分からんけれど、そこに無いものを感じさせるのも音楽のちからだと思うので、猫の目ということにしましょうよ。

 

 

歌詞もなんだか、気まぐれな猫っぽい主人公像を覗かせますよね。

 

以前に雨宮さんがこの曲の主人公について「自由奔放に生きている」というお話をされていて。

ライブでの歌唱からも、その高飛車な様子を歌唱からも感じられて。

 

自由奔放に生きて、プライドにも似た自己愛があって。

擦り寄ってくる男を従えている感じもあって。

 

1Aの「真夜中に揺られて 上の空」の上の空感ある歌唱、自由奔放さに溢れてて、可愛かったなあ。

 

ダンサーさんとの絡みだったら、2Aの猫の目作るみたいな演出が特に印象的で。

「君たち見てるぞ」って、威圧しているような。

 

 

それにしてもあの色っぽい「不幸にしてよ/不幸になれよ」の呪文で意識が壊れてしまう...。

 

メロメロとした思考しかないままに、ゆらゆらとしたサビのあの心地良いメロディーラインに気がついたら揺られてしまう。

 

バフ技か?

コンダクターに乗せられ踊らされてる混濁者みたいな感じ。

 

そんでよ。

サビ終わりの、振りよ。

 

まるで闇を切り裂く カタル...」の腰...。

 

ってなってたら、「シス」でそれまでこちらを指していた人差し指をこう、くいっと、折り曲げ地面に。

 

「ひれ伏せ」「跪け」と言っているような所作に、表情。

そんなことされたら「死す♪死す♪」みたいなテンションで平伏してしまう。

 

 

そんな自由奔放、自己愛の化身Catharsisちゃん。

 

Dメロで彼女が見せる「不意に表れる弱い感じ」がとても愛しくて。

 

CD音源からあの部分が愛しくて愛しくてメロメロだったんですけれど、ライブとなると雨宮さんん歌唱力もブーストがかかって、どえらいことになってましたね。

 

「誰かへ向けた愛はなくて、強いて言えば自己愛があるだけだと私は思っていて。ただ、自分を愛して自分の好きなように振る舞っているけれど、どこか満たされない部分があって、それがDメロの「弱さという醜さを 見せてしまった日には どうせ貴方 面倒くさそうに 離れていくんでしょ」という歌詞に表れているんです。だから「Fluegel」の主人公が超然としていたのに対して、この「Catharsis」の主人公はすごく人間臭いんですよ。」

 雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

「本当の意味で自分を肯定したい、自己承認欲求みたいなものは自分にもあるので。それが満たされる瞬間があったとしても、結局どこかで寂しさが残ってしまうというか。うん、そこは「Catharsis」の主人公に共感できるところではありますね。」

 雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

 

以前、インタビューでこんなことをお話しされていましたね。

 

そうだなあ。

 

この主人公はちゃんと自分をわかっていて「賢い娘」だと思うんですよね。

だから自分が自分自身に感じている「不満」だったり「侘しさ」、要は自分の欠点やネガティブな感情も理解している。

 

そしてそれは、ぜっっっったいに他人には見せない。

 

弱さという醜さを 見せてしまった日には どうせ貴方面倒くさそうに 離れていくんでしょ

 

彼女自身が耐えきれないのは「自分の弱さ」を受け入れられないことであって。

多少なりこの娘は、自分のそういう「弱い部分」も実は好きなんじゃないかなとすら歌詞からは印象を受けるんですよね。

 

この歌詞のとき、雨宮さんの周りをダンサーさんがぐるっと囲っている。

まるで、何か大事に守っているように。

 

そして、「弱さという」「醜さを」と区切れごとに段々と体を反らせて剥がれ落ちていく。

その内側にいる声の主は、怯えた声色をしていて。

 

「弱さを克服していくような生き方」を人は行なっていくことができるけれど、その過程においては「弱さを受け止める」工程が必ず必要になってくると思っていて。

 

受け止めきれた人が次の「克服」というステップに進めるけれど、受け入れてしまった人はむしろその弱さに愛着すら抱いてしまう時がある。

 

歌詞や歌唱から印象を作り上げてみると、彼女の場合は後者かなと。

 

誰より孤独が似合っていたいの」とか、「四の五の言わず不幸にしてよ」という歌詞がちょっと露見している彼女の弱さだと思っていて。

耳に飛び込んできたときはもう、可愛すぎて好きすぎてニヤニヤしちゃったんですけれど。

 

四の五の言わず不幸になれよ

 

これが彼女の本心なのかなーって。

自分の中で醜いと思っていても捨てられずにいる「弱さ」を相手に受け止めてほしい(結果、相手も一緒になって不幸になってほしい)感じ。

 

だからこの部分は、高飛車というよりも素で高圧的な歌唱なのかなあって。

 

自由奔放に高飛車な一匹猫を演じているけれど、本心では「一緒に」という繋がりを希求している。

でも、一緒に居ても満たされない。

それはだって、彼女が「the drama queen」を演じきっているから。

そこに“彼女”はいないから。

 

気ままに「queen」として振る舞ってちやほやされる幸福、でもそれはこの娘にとっては「なんだか満たされないわ」で。

 

『Catharsis』は「浄化」という意味合いを持ちますが、この曲が言う「浄化」って、「幸福」からの浄化だと僕は解釈しています。

 

『幸福』は彼女にとっては穢れで、そこから浄化されての『不幸』を望む、みたいな。

 

彼女にとっては、真の自分ってその『不幸』な部分に居る自分であって。

彼女にとっては、そこが黄金の微睡みだと思うんですよね。

 

周りにとりつく狼共は「可愛い」って言ってくれるけれど、それはうわべだけ。

彼女もそれは「表層の自分の肯定だ」と賢いので理解していて、でも本当に承認されたいのはその微睡みの横で小さくなっている自分なわけで。

 

それでも、「the drama queen」を演じてしまう。

 

だって、

 

弱さという醜さを 見せてしまった日には どうせ貴方面倒くさそうに 離れていくんでしょ

 

ですって。

 

そんなDメロ、スクリーンに猫の引っ掻き傷のようなエフェクトが浮かんでいて。

強がってる...可愛い...。

 

 

 

その後のサビ歌唱とかもう、雨宮さんの歌唱ギアがもう1段あがるっていうのもあるんですが、強がりをすごく感じられて、身震いが止まらないのでした。

 

可愛い、この娘、めっちゃ可愛い。

癖というか僕自身のサイコパス性がバレちゃうけれど、この娘、めっちゃ可愛い。

 

ふふ気まぐれ猫めきただのはぐれ猫背ふははは。

 

もう名役者ですよ。Great Pretender

 

 

そんなラスサビ。

「まるで闇を切り裂く Catharsis」でダンサーが倒れる。

 

そしてそのまま独りきりで

「I'm the the drama queen」

 

ほげぇぇーって、感嘆の声を上げそうになってしまった。

こういう物語が好きなので。

 

『羽根輪舞』みたいに演出面では拡張性がある曲じゃないかなあと思っているので、またいつか異なるバージョンが見れたら嬉しいなあ。

 


【9】フリイジア


『Catharsis』からの繋ぎ、暗転中にダンサーさんに衣装や髪型のマイナーチェンジを手伝ってもらう。

 

その際に、『火花』のイントロ部分のメロディーラインを天ちゃんバンドが演奏されていましたね。

『火花』イントロの哀愁あるメロディーと『フリイジア』のイントロの相性が良かったので違和感なく、そして心地良く曲に入ることができましたね。無音のブランクで繋げられるより曲への没入しやすさが上がるので、ナイスアイディアですよね。

 

階段上での歌唱。

スモークが焚かれて、階下には扇を持ったダンサーさん方。

ラスサビでは光の中に羽根が舞っていて。

 

大阪公演のMC内で雨宮さんがこの曲のイメージを、「『フリイジア』は私のイメージで、人ならざる人、なんなら天上人くらいのイメージなので、羽根の雰囲気はぴったりでした。』と語っていたけれど、仰る通り神々しさがそこにありましたよね。

 

 

繊細な曲かと思いきや、銅鑼(?)のようにドーンッと広がっていくメロディーに、雄大な気持ちになりまして。

ライブで届けられると、なんだかこれまでの思い出がぶわぁと脳内に広がって、とても煽情的。

 

歌唱の方でも、A,Bメロは切なさを孕んだ細やかな歌唱。

何か大切なものへの想いがじんわりと湧き出しているように繊細で。

 

でも、サビの転調を迎えると、のびのびとしていて嫋やかな歌唱。

山から流れ出た湧き水が大海へと広がっていくように、一気に感情が溢れ出す。

 

雨後の筍みたいに、ぐぐんっと。

 

雨宮さんが声優グランプリ8月号の中で「歌い方としては、語り部でもあり当事者でもあるような、両方の要素が入っています。」と『語り部』の存在をお話しされていましたね。

 

ナレーションが映像への没入を導いていくように、“語り部”という雨宮さんの歌唱にぐぐっと曲の世界観に導かれるような印象がとくにこの曲は大きいように感じています。

 

 

『フリイジア』、雨宮さんの素敵なビブラートが効きまくっていて、めちゃ好きなんだよなあ。

 

サビ部分の「ひらひらと落ちる」という歌詞。

あの部分の「ひらひらぁーと」の「ぁー」が大好き。

 

なんか、こう、木漏れ日の中で揺ら揺らと水面へ落ちていく花弁がすごく想像できて。

スクリーン上に落ちていく花弁の映像があったけれど、ああいうイメージ。

 

母音で言えば、あとは雨宮さんのロングトーン、母音の残し方というか残った母音の震え方が身震いするほど圧倒的で気持ち良くて大好きです。

 

壮大なメロディーラインだと思うんですけれど、雨宮さんの声の振るわせ方が感じさせる壮大さも掛け合わさって、壮大さがえらいことになっていますよね。

 

壮大すぎて、長江とか万里の長城の映像にバックグラウンドで流されていてもなんら違和感ないと思う。

利根川だと違和感あるかも。

 

その壮大さが、心の一等地をこれまで一緒に過ごしてきた風景が優しく流れていくように感じさせて。

ライブってある意味誰が歌うかが大事だと思っていて、僕はだから曲の主人公とは別にどうしても「雨宮天」としての語りを持たせてしまいがちなのだけれど。

 

「涙雨」という歌詞。

この歌詞があるように、惜別の曲かなと受け取っていて。

「涙雨」、深い悲しみの涙が降るように感じられる雨。

 

『(もうそこにはいない)想い人に、手を伸ばす』という抒情詩かな。

 

 

悲しい歌じゃない、懐かしいあの頃に、耳を澄ます曲。

 

そう、そんなイメージで聴いていると2番歌詞の

 

静かに紡いだ過去の日々は

真っすぐにしがみついた時間は

強さと弱さを織り合わせて

この姿をつくり上げました

 

っていう歌詞がクリティカルヒットして、静かに歩んだ時間を思い出しては、感情が濁流と化していましたよね。

 

黄河くらいの濁流。

利根川じゃないよ。

 

っとね、ほんといろんな調べの曲を歌われるなあって。

ここまでの曲だけでもかなり使う声色に振れ幅があって、「歌い分けられている雨宮さんってやっぱすげぇや」と再実感していたのでした。

 

すげぇやそら(懐かしい)

 

 

アウトロ、雲間に消え行く雨宮さん。

実は階段上で歌唱されている雨宮さんの左横に浮かぶ影があって。

 

その影が見間違いじゃなければ、雨宮さんとは左右非対称だったんですよね。

まるで、当事者の彼女とその想い人のようで。

 

アウトロ、共に、雲間へ消え行く姿。

 

先ほど、「歌い方としては、語り部でもあり当事者でもあるような、両方の要素が入っています。」という雨宮さんの以前のインタビューを用いました。

 

雨宮さんが姿を見せ歌唱している間は「当事者」として想い人へ祈りを捧げる人の存在を感じていたんだけれど。

 

でも、アウトロで姿を消した途端に、実はこの物語が既にそこにいない彼女たちによって語られていた懐旧譚であることを沸々と実感させられて。

その不在が存在よりも濃い気配をつくっていることに、ただただ詠嘆が漏れるばかりなのでした。

 

 

 


不在の二人の時間を巻き戻りなぞっていくように、『フリイジア』のメロディーが奏でられていく。

 

その音はいつの間にか『羽根輪舞』の音にまで戻っていて、そのアコーディオンのような異国情緒ある演奏が、遠い昔の二人の物語を想起させるようでした。

 

 

夜は流れ、『羽根輪舞』の時計台の音まで遡る。

 

まるでそこから物語が分岐するみたいに、刻の音だけが残り、ゆっくりと刻、刻と時が溶けていく。

 

ガラッと世界線が移ったかのように、喧騒。

 

 

みたいな感じで、バンド&ダンサーパフォーマンスタイムに浸っていました。

 

 

『羽根輪舞』から剥がれた極悪な『情熱のテ・アモ』、めちゃくちゃカッコよかったなあ...。

 

ギュイーーーーン!!としたギターが情熱的で、惚れちゃった。

ちょい悪の男の子を好きになる女の子の気持ちがわかったかもしれない。

 

昌子、こんな気持ちやったんやな...。

 

そんなことを考えている間に、ギュイーーーーン!ギュイーーーーン!という喧騒を生み出しながら、階段へたむろしていくレディースの方々。

 

「あ、これは...」と思った途端に、さらに一段圧の強いギターの音が闇夜を切り裂く。


【10】Queen no' cry


一際大きなバイクの音を響かせ登場する総長。

どう見たって、レディースの集会です。

 

 

名古屋公演で初めて遭遇した時の衝撃ったらなかったし、毎公演その感動が色褪せなくて、高揚感が半端なかった。

ベストアルバムのRED版、『ロンリーナイト・ディスコティック』のMV時は色気ムンムンに婀娜やかな佇まいだったけれど、ハットを被って登場するとそれはもう格好良くて、格好良くて。

 

単に着衣の変化だけじゃなくて、雨宮さん自身が自らに纏わせる風格を羽織り替えているようで。

 

人が変わったように、ガラッと風格が変わりますよね。

本当にこの人の表現へのこだわりや、それを表現しきる力は凄いなあ、と。

 

格好良かったなあ。

カリスマ的レディース総長って、ああいう佇まいなんだろうな。

 

「姐さん、あちきも総長についていかせておくれよ!!!」って思っちゃった。

 

 

Aメロ、ぴかっと光るライティングの箇所。

(多分、「踊るパルス」/「ヴァンパイア」の部分)

 

ピカッとした瞬間に壁面に浮かぶ「総長」の影が勇ましくて黄色い悲鳴を上げそうになってしまったのでした。

この総長、ぜったい「雷神」って呼ばれてる。

 

その「踊るパルス」「ヴァンパイア」の歌唱に合わせて拳を打つ姿がこれまた格好良くてね…。

んひー、強すぎる…。

 

AメロBメロの話だと、後は2Bの「静かに近づいてくる」の部分。

雨宮さんがダンサーさん方を従えて上手へ移動してくる場面。

 

どう見ても「配下の族を従えておらつきながら近づいてくる総長の姿」にしか見えなくて、はわわわわっ…!って気持ちになってしまった。

 

あそこ、上手正面で見てたら西川君みたいに失神するか、「トゥンク…」ってときめいてしまうポイント。

 

もう少しダンサーさんとの絡みで好きだったポイントを探検していくと、んー、やっぱりサビ部分かなあ。

 

「燃やしユメを咲かせてる」/「波が寄せても朽ちない」のところ。

 

あそこで、ダンサーさんが排気量の大きそうなバイクに跨っているような振りがあって。

こう、両腕を前に出してハンドルを握って「咲かせてる/朽ちない」で左右に揺れるんだよね。

 

あの部分、すごくレディースっぽくて大好き。

ライブ中真似して、僕もアクアラインを走っている気分でした。

 

サビね、ダンサーさんが荒ぶっていて大好きなんだよね。

殴りつけるように拳を振るったり、獅子舞みたいに髪をぶん回したり。

 

どこだったかはメモしきれなかったんだけれど、左小脇に相手を抱えて右手で拳を振るってるように見えたシーンとかもあって、そういうエネルギッシュな激しさに気持ちが昂るところがあったなあ。

 

タイマンしている軍人さんの周りを観衆が囲んで囃し立てている場面とかあるじゃない。

一挙手一投足に興奮して、ワー!ワー!するの。

ああいう、盛り上がりがそこにあったなあーって。

 

あとあと、少し順を前後することになると思うんだけれど、ラストサビにかけてライトが点灯していく場面。

あそことかもろにバイクのヘッドライト感があって、身震いしちゃった。

 

曲を通してずーーーーっと雨宮さんもダンサーさんも悪くて、強くて、格好良くて、大好きなんだよね、『Queen no' cry』。

 

 

歌唱はもう、ずっとドッシリと動かない『意志』ある強さがそこに在って。

選んだままに流されない強さ。

安心感すら覚える、大きさ。

 

 

「誰が為じゃない」

 

 

「いま魅せてあげよ」のロングトーン、声たからな宣誓で圧巻だったなあ。

 

 

この部分、『"Paint it, SKY"』では下のパートを歌われていたんですよね。

 

それもそれで重みがズシリとあって胸を躍らされた歌唱だったんですけれど、普段聴きしている中でこの部分は高い方、あのどこまでも真っ直ぐ昇っていくような歌唱に気分を一緒に飛ばしてもらうことが多いので、今回のツアーで綺麗に上のパートを歌われていたのが、すごく嬉しかったんだよなあ。

 

んー。

少し、ポエマーになる。

 

 

 

僕たちは訳のわからない世界に、意味づけをしたりレッテルを貼ったり、ヴェールで覆ったりして、なんとか生き延びている。

そして他者は僕たちの大切な意味づけをなんのデリカシーもなく剥がしてしまう

 

でも、この曲の歌唱からは「剥がされても負けない強さ」を存在として感じるんだよね。

格好いい、とても格好いい。

 

 

 

以前、こむちゃで「自分自身はひとりで生きていけると信じて進んでいくしかないような女性」っていうふうにこの曲の主人公をイメージされているというお話もされていましたね。

 

雨宮さんの歌唱からも、そういう「絶対的なひとり」みたいな揺るがなさを感じて。

何度も何度も挫けては起き上がり、辿り着いたような貫禄。

 

"間違うことを恐れ

明日さえ決められないで

零してきたナミダと

もがいてできた無数の傷に

細工をほどこし飾れば

風が吹いても消えない

波が寄せても朽ちない

雨雲泣いても沈まない"

 

そんな人が言うからこその、響きがある歌詞ですよね。

 

この2サビ歌詞大好きなんだよなあ。

低く重みのあるような歌唱が、すごく威圧感あって場の主導権を握らせていないですよね。

真正面からデカいのをぶつけられている感じがする。

 

うん、2サビのこの強い歌唱好きだなあ。

  

でもでも、2サビのこの歌詞も好きなんだけど、 1番好きな歌詞、そして歌唱は別にあって。

 

2サビ前の「かかげた誇りは 誰が為じゃない」

 

これを言い切れるのって、とても強い人だなあって思うのです。

きっと何度も聴きたくなる正体って、そういう存在への憧れなんだろうね。

 

ライブでは雨宮さんが歌われるからこそのヒシヒシと伝わってくるものがあって。

羨望じゃなくて、自分もそっちに行けるように頑張りたいね。

 

 

まだまだ語るけれど、この曲のじろっち生演奏を聴くのがすごく楽しみだったんですよね。

普段聴きしていても、この曲のじろっちのギターがもう大好きで。

 

『"Paint it, SKY"』のトークパートで、

 

・自粛期間最中、ずっと家で機材をいじっていたら凄いチューンアップになっていた

・そのタイミングでレコーディングが入ったので、最高のギターの音している

・それを世の中に出せたことが嬉しい

 

というお話をされていましたね。

 

その『"Paint it, SKY"』での演奏、雨宮さんとの掛け合いはもう何年経っても色褪せないであろう光景として憶えているのだけれども。

 

実際に、ぶつけられる音がすごく心を高揚させて。

雨宮さんの迫力ともかけ合わさって、えらいことになってたなあ。

 

 

 

ぶつけられる圧倒的なまでの歌唱と音楽。

体が振動でびりびりしながら、激しく感動する。

頭の中のもやもやが、どんどん消失していくのを感じる。

 

世界とのズレや、まなざし、そんなものは何も問題じゃなくなって、いろんな言葉を尽くして自身を説得しなくても、僕は僕から気持ちよく抜け出ていく。

 

「例えば、今までは芯の通ったまっすぐな強さを表現するために、小さな点を撃ち抜くような歌い方をしていたんですけど、「Queen no' cry」ではより荒々しく、大きな面に声を叩きつけるようにして歌ったんです。もはやメロディに音を沿わせるのは二の次みたいな感じで。そうすることでまた今までとは違った表情が出ていたらいいなと思いながら。」

 

  (雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

雨宮さんがこの曲のアプローチを以前にこうお話しされていたけれど、「まさに」でしたね。

 

 

っていうかさ。

ラストの横浜公演で前方の席にいけたので気がつけたのだけれど、「ガイコツコードマイク」での歌唱じゃないですかぁぁぁ!!!!

 

ずーーーーーーーーーーーっと胸の内に「雨宮さん、ガイコツマイクお似合いだろうなあ。」と思いながらこの世に生を受け、幼少期を過ごしてまいりました。

 

至極、眼福です。

俎板の上の鯉です。

いえ、ここはやっぱり鯛でお願いします。

めでたいので。

今日が私の、ガイコツマイク記念日。

 

ここで、コードマイク大好きおじさんから届いた『"Paint it, SKY"』でのうじゃのさんの様子をお届けします。

良かったね...。

 

コードを手に絡め、挑発的な表情で、時に身体をグッと屈ませ歌唱される姿。

ああ、格好良かったなあ...。


【11】BLUE BLUES


ダンサー2人を従えてのパフォーマンス。

 

Aメロのクラップ。

一体感があって心地良い時間でしたね。

 

Bメロ、クラップしていた手を

「誤字脱字」

「二日酔い」

 

という歌詞に合わせて左右それぞれに客席を指すダンサーさん。

...なんかこれ、字面だけ見ると「誤字脱字」「二日酔い」取り締まり警察だな。

 

うっすらと、「なんだ...?この振り、なんだか知ってるぞ...」と思いつつサビメロへ。

 

サビになり、ビシッと腕を大きく斜め上にあげ胸を大きく開くダンサーさん。

 

知ってる!!

これは、「応援団」じゃないですか!!

 

ガイコツマイクをスタンドに収め、ギュッと手を添えて歌唱される雨宮さん。

 

 

んー。

 

(局地的ポエム警報のサイレン)

 

不正解な街で、それでも強くまっすぐ、むしろ微笑を浮かべながら自分の道を進んでいく人が嘯いていそうな曲。

そんな印象を歌唱、パフォーマンスから受け取っていて。

 

雨嘯。

 

雨にぬれてるのなんてお構いなしに、自分の気持ちに嘯いて歌う曲、みたいな。

 

「実際、改めて自己紹介するかのような歌詞になったなと。けっして強くないし、ダメダメなところもあるけれど、でも野心を燃やして頑張りたい。この“BLUE”には、未熟者としての青さの意味もあって、Dメロもただの“青”ではなく、“青さ“と表現しています。未熟者でありながらも泥臭く突き進みたい、そういった私の根底にある想いを、曲のタイトルにも込めました。」

 

と21年6月号の声優グランプリさんでお話しされていて、当初は泥臭くも前に進んでいる、雨水で泥々な足元を有刺鉄線を交わしながら這い進んでいるようなイメージを持っていたんですけれど。

 

でも、あのライブで聴いてみると、その泥臭さはしっかりあるんだけれど、先述した「雨の中を微笑を浮かべ嘯きながら進んでいく人」の姿を感じたんだよなあ。

 

調子付いている感じが、なんだかカッコよくて。

自分自身をちゃんと自分で調子づけているカッコ良さがあって。

 

 

んー。

 

日々生きていると、やっぱりダークな感情って溜まっていくもので、でもそういう感情ってそこかしこに好きに発散できるものではないじゃないですか。

 

でも、「そんなことを口にするもんじゃない!」と社会的には非難されても、その人の内側では、そういうダークな感情の存在は認められて欲しいなって思うんだけれど。

 

まあ、自分自身もちゃんと自分に優しくなってあげたい所ではあるんだけれど。

 

でも、こういう「調子に乗せてくれる」曲を聴くと、ちゃんと自分にやさしくなりながら前向けるんだよなあ。

 

「Hey guys 暇人? しっかりしんがりよろしく」

 

ここの悪態、最高だなあ!かっくいいなあ!ライブ、最高だったなあ!

 

 

こういう、なかなか口にしたくても出せない「悪態」に調子づけられるの、自分もその悪態を身に纏ってる感じがして、自分に素直になれるよね。

 

「語り」は話し手に影響される。「誰が語るか」によって、語りが内包するモノは変化する。

「語り」とは話し手と聞き手の間に、共振的にひとつの場が励起することなのだから、それも当然だと思うんですけれど。

 

共通の磁場、っていうものかな。

 

要は何が言いたいって、僕にとってはこの曲が「雨宮さんが歌う曲」であるからこそ、より含意あるものとして受け取れるということ。

 

見せてきてもらったことや経験させてもらってきた懐旧と紐づいて、背中を押してくれるというか。

 

 

何を見つめたくてこんなにやってんだろう、とか。

何に煮詰めたくてこんなに考えてんだろう、とか。

 

何を掴みたくて諦めちまったんだろう、とか。

何になりたくて立ち止まったんだろう、とか。

 

ひとつ、たったひとつの句読点がそこに打たれて、向き合うべきモノに純度高く向かうことができるエナジー。

 

届けられたモノに触れたからといって、今自分の抱えている辛さや苦しみが解決するわけではないんだけれど、「やっぱり頑張ろう」という意欲や「泥臭くても進んでいこう」っていう気持ちが体の中から湧いてくる。

 

こちらへ届けたいものとして、雨宮さんがよく用いる「凄いもの」にはそういうエナジーがあるなあと、僕は受け取ったボールを磨いては思っています。

 

 

 

雨宮さんからの「熟者でありながらも泥臭く突き進みたい」という自分自身への応援歌であって。

「頑張る人は絶対に応援したい」と言ってくれる雨宮さんからの応援歌だとも思っていて。

僕は雨宮さんへの応援歌としても受け取っていて。

 

あとはちゃんと、僕が僕自身でこの曲を僕自身の応援歌にしないとな。

 

 

2Aで赤い羽織りを肩にかける雨宮さん。

応援団長じゃん。

学ランみたいで、カッコいい。

 

「加速すんだ Already you know !」

 

ここからサビまで一気にあがっていくところが普段聴きから好きなんだけれど、ライブでの歌唱も爽快感半端なかったなあ。

 

大阪公演以後。

間奏、「じろっち〜!」と雨宮さんに呼び込まれ、ぎゅいーーーん!!と登場するじろっち。

 

これが、これが聴きたかった...!!

突き刺さってくる音が心地良かったですなあ。

 

それを嬉しそうに拍手したり、太ももを叩いてリズムをとる雨宮さんが幸せそうで、さ。

幸せな光景だったよね。

そうだよね、じろっち編曲だもんね。

 

 

Dメロ、「ご機嫌なサウンドを聞かせて」と会場の端から端を指す宮さん。

ピアノを弾き鳴らすちゃんへー2022。

ノートを書き散らすうじゃの2022。

 

徐々にボルテージがあがってきたラスサビ直前。

上着投げ捨てる宮さん。

 

いいわね〜、昂らせてくれるじゃない。

 

「ビビッドな青さで」からの1段目の「ハートエンジン吹かして」という踏み込み。

あそこのグラデーションが心をグッと掴むところありましたね。

 

青を纏って、グッとエンジンを踏み込むような。

ん?例えた割にそのまんま同じこと言ってるぞ。

 

「やっぱりあなたは、青だなあ」なんて思っていました。

 

 

ラスサビ、よりギアをあげた歌唱になる雨宮さん。

会場の端から端までを指差し、全員の熱気を上げていく。

 

 

いいなあ、真っ青だよ。

 

 

「Move on now...」周りのこの振り、好きなんですよね。

両腕をまっすぐ前に伸ばして片腕でギアを巻き戻しを左右でやっての、「最高」。

応援団みたいで、好き。

楽しいね、また応援しあいたいね。 

 

 

大阪公演のMCでは、編曲を務めたじろっちさんからのお話もありましたね。

 

デモを貰った時点で、「ああ、本気で骨太のロックなんだね」と思われたとか。

 

 

「前奏ありにするかとか無しにするかとか、クリエイティブなこと話しながら作った」という趣旨のお話もあって、ありがたかったなあ。

 


12.idorodi(アレンジver.)


再び階段付近にたむろするダンサーさんたち。

ジャジーなアレンジが施されたメロディーが暗いステージ上に悲壮感を演出しているようで。

 

ロックをやめて、ジャズを演奏するギター。

「歌手になりたいという夢を追いかけてきた人が現実に直面し、悲しみを抱えながらも力強く歌い続ける、そんなイメージのMVです。」

 

「赤い衣装の子は“ここは自分のステージではない”と思いながらも気丈に振舞っていて、白い衣装の子はその子の内面なので、どこか弱々しくおびえています。」

 

 

以前、雑誌にこう寄せていらっしゃいましたね。

MVの『irodori』はまさにそのような物語だったと思います。

 

でも、このライブアレンジの『irodori』はそれとはまた異なるif storyであったように受け取っています。

 

それは、上で紹介したように、塩野さんがお話していた世界観の中で「ギターがロックをやめた世界」。

 

カナリヤにとって味方であったギター。

そして、『irodori』(原曲盤)ではギターだけがロックをやめなかったということ。

 

そのギターの音は、「ここは自分のステージじゃない」と思っている赤い衣装の子にとって精神的な拠り所(≒白い衣装の子)だと解釈していて。

 

そのギターの音があるから、白い衣装の子が内面にいるからこそ、赤い衣装の子は密やかに『青(意志)』を宿しながらその自分のステージじゃない場所で歌えていたんじゃないかなと思っていて。

 

でも、今回のライブアレンジ版。

 

ジャジーなアレンジが施されたメロディーが暗いステージ上に悲壮感を演出しているようで。

 

 

ロックをやめて、ジャズを演奏するギター。

ギター、ロックをやめてるんですよね。
それは、赤い衣装の子の元を「白い衣装の子」が去った状態を指していて。

このライブアレンジでは「凍りついた湖の底から 悲しげにこっちを見ている“あなた”は誰?」という歌唱がなくて。

原曲版ではこの“あなた”は白い衣装の子だと受け取っているんだけれど、今回歌われなかったということは、既にもう赤い衣装の子の内面には白い衣装の子がいないんだよね。

『irodori』(原曲)から比べると、だいぶ哀愁が盛られていた今回のアレンジ。

それは何だか、赤い衣装の子が「ここは自分のステージ」だと受け入れているように見えて。

そんな印象を受けていたから、このライブで披露されたアレンジは、『irodori』MVから『ロンリーナイト・ディスコティック』に至るまでの過程として受け取っていました。


【13】ロンリーナイト・ディスコティック


『irodori』からの繋ぎは気持ちいいよね~。

 

『ロンリーナイト・ディスコティック』のイントロ、めちゃくちゃ大好きなんだよね。

ハードボイルドな悪さがあって、たまらんのよ。

 

イントロの立ち決めポーズ、光に満ちたライティングも手伝ってめちゃくちゃ綺麗でね。

“綺麗なお姉さん”感ムンムンだったなあ。

 

ガイコツマイクでの歌唱。

 

MVもガイコツマイクだったけれど、雨宮さんのお顔に武骨なガイコツマイクはとても相性が良きように思うんですよね。

とっても良いです。

撮っても良いです?

ダメ?ああ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

バンドよき...

イントロで帽子投げ捨てる宮さん、かっこよ...。

 

波寄せるようにAメロからBメロへ流れていくあのメロディーライン、大好きなんですよね。

聴いていてめちゃくちゃ気持ちいい。

 

Bメロ終わりサビ直前の「チープな芝居がくさい」/「陳腐なセリフは要らない」

ここの、言い切りの「い」の張りあるロングトーンが心地いいですよね。

 

言い切りの「い」なんて言ったの、古典の授業以来だな。

 

その「い」を起点としての次に続くサビ頭に気持ち良い落差で音が落ちるんですよね。

あんなフォーク、打てん。

 

あとあと、サビにある「素直に慣れてたなら」/「永遠さへも傍に」

あそこの、「すなお、に⤴︎」/「えいえ、ん⤴︎」が大好き、墓前に供えてほしい。

 

ああいう音が不意に抜かれたり、階段飛ばしするようなエッセンスにめちゃくちゃ弱い、勝てん。

 

そんな1サビ終わり。

毎公演、メモに興奮気味に「シルエット2Aまえキレイ」「2Aまえシルエットbeaut」「2Aシルエット〇」

 

って書いてあるんだけれど、憶えていないのでどうか映像資料をください。

 

 

んで、2サビ終わり。

「いつ間違えたの」で後退ってゆく雨宮さん。

 

というより、“置いて行かれている”かな。

 

そしてそのサビ終わりに、雨宮さんは姿を消す。

(ここで感じていたことの話はあとで回収する)

 

 

間奏、悪い音が鳴っていたね。

切れ間から空間は青を帯びていって。

 

 

そんで、Dメロよ。

名古屋初日、2サビ終わりの不在で察しがついて思わず「あっ」って体が固まったのを憶えています。

 

スクリーン上に浮かぶシルエット。

複数の影がそこには淀んでいて、ぐにゃあ…と。

 

影影言ってたら、公式に供給されてしまった…。

でもこんなの見せられたら寄せる感情が大きくなりすぎちゃうので、過多過多です。

 

んー。

(何かが入場する音)

 

あのシルエットは、置いて行かれた人なんだよね。

 

先ほど『irodori』のところで、「このライブで披露されたバージョンは『irodori』MVから『ロンリーナイト・ディスコティック』に至るまでの過程」みたいなことを書きました。

 

あそこでスクリーンに浮かんでいたシルエット、“赤い衣装の子”じゃなくて、“白い衣装の子”だと思うんですよね。

 

『ロンリーナイト・ディスコティック』のMVだけだと、もちろん置いて行かれたのは「赤」だと感じるのだけれど(その後歌詞に「赤は残して」という歌詞があるように)、これはライブならではだよね。

 

ライブ、楽しいな。

 

ラスサビ、階上のミラーボールと共に階下へ登場する青い衣装の雨宮さん。

 

んー。

 

影は平面にできる。

 

抽象化すれば、影は「本体の次元をひとつ落とした姿」として現れる。

投影するということは、次元をひとつ下げて(上げて)考えるということだ。

 

四次元空間における物体の影は三次元であり、その差はt軸(時間)なので、僕らの生活空間がある時刻で止まった状態が、実生活における「影」なのである。

 

二次元(スクリーンの影):白い衣装の子

三次元:赤い衣装の子

四次元:青い衣装の人

 

「赤い衣装の子」にとっては「白い衣装の子」が影であり、

「青い衣装の人」にとっては「赤い衣装の子」が影。

 

僕、MVの時もちょっと『irodori』踏まえて解釈していたんだけれど、その時は「赤い衣装の子の内にいる白い衣装の子が青い衣装の人になっている」みたいに解釈していたのですよね。

 

でもね、ライブって面白いですね。

まったく違った見え方がいま眼前には広がっていて。

 

「白い衣装の子を捨てた赤い衣装の子が、青い衣装の人になっている」なんですよね。

 

『irodori』地軸で考えているので『irodori』の登場人物設定に回帰していくのだけれど。

 

 

「歌手になりたいという夢を追いかけてきた人が現実に直面し、悲しみを抱えながらも力強く歌い続ける、そんなイメージのMVです。」

 

「赤い衣装の子は“ここは自分のステージではない”と思いながらも気丈に振舞っていて、白い衣装の子はその子の内面なので、どこか弱々しくおびえています。」

 

二次元(スクリーンの影):白い衣装の子

三次元:赤い衣装の子

四次元:青い衣装の人

 

 

「歌手になりたい(白い衣装の子)」という夢を影にもちながら、「ここは自分のステージではない」と歌い続けていた赤い衣装の子。

(『irodori』原曲)

 

赤い衣装の子の夢が薄れ、自分ですら自分の味方になれず(ロックをやめるギター)、現実を受け入れ“大人”になっていく過程

(『irodori』大人アレンジ)

 

赤い衣装の子が「歌手になりたい(白い衣装の子)」という想いを捨てて、「私はこれで生きていく」と意志を固める

(『ロンリーナイト・ディスコティック)

 

頭の中に広がっている展開図は、こんな感じかな。

 

「青い衣装の人」はね、人じゃなくて、意志なんよ。

意志が具現化したもの。

 

だから、白い衣装の子がなりたかった『青』と赤い衣装の子が成長した『青』は、まったく別人なんだろうね。

 

んー。 

 

四次元空間における物体の影は三次元であり、その差はt軸(時間)なので、僕らの生活空間がある時刻で止まった状態が、実生活における「影」なのである。

 

赤い衣装の子が「時」を経てなった姿である青い衣装の人(赤い衣装)。

白い衣装の子(二次元的)はそのt軸を有していないから、元赤い衣装の子にはもう想いが届かいのよね。

 

「赤は残して さよならディスコティック」

 

青い衣装の人(元赤色)が残したのは「歌手になりたい(白い衣装の子)」という夢ではなく、この先も赤い衣装で歌っていくという道。

 

その覚悟の現れとしての『青』。 

 

白い衣装の子が夢見た『青』とは違う『青』を纏った赤い衣装の子もちょっと寂しいのかな、ラスサビの「ロンリーナイト・ディスコティック」は結構激しめに感情の込められた扇情的な歌唱で。

 

 

なーーーんて勝手な妄想を繰り広げながらノリノリで受け取っておりましたよ。

 

曲終わり、イントロと同じポーズで綴じる。

綺麗。


MC2

ここまで歌唱してきた楽曲に触れつつ、「どうでもいいお話しするよ?」ゆったりトーク。

 

 

名古屋公演では、作品のライブや5月11日に発売される13枚目のシングル『Love-Evidence』のMV撮影に向けて湯豆腐ダイエットをされていたお話をされていましたね。

2月、とてもお忙しそうなスケジュールだったけれど作品に自身の活動にしっかり万全に整えていらして凄いなあとお話を聞いておったのでした。

 

 

大阪公演では、前日入りして食べた土鍋ご飯の魚の小骨が舌に刺さったというお話。

「舌に刺さるもんなんだ...」と何だか怖くて最近魚を食べきれないでいます。

 

横浜公演では前日に開催されていたAnime Japanのステージ合間にラーメン探訪をしたお話でしたね。

 

煮干しラーメン、食べたいなあ。ライブ後みんなで打ち上がった帰り、ひとりになって寂しくなってたところに富士そばを見つけて、煮干しラーメンの食券押したらもう終わってて、堪えてた涙が溢れ出しそうになった思い出。蛤ラーメンは食べたことないので、いつか食べてみたい(´×`)


【14】Song for


「ここからは爆上がりし続ける青ゾーン!」と嬉しそうに宣言してからの『Song for』。

 

イントロ、「ここから盛り上がっていきましょう!」とクラップを煽る。

嬉しそうに、にこにことした笑顔で。

 

うんうん、そうそう。

雨宮さんへお返ししたい詞なんだよね。

 

ありがとう、って。

がんばってね、って。

 

もう僕は、あなたが「そのままでいいんだよ」という言葉を受け止めてくれた先で、「だからこそ」と立ち上がる姿を知っているから。

 

大丈夫。

 

あなたもそう想ってくれてるんでしょ?

 

 

もう、大丈夫。 

 

 

『青』の1曲目にこの曲を置いてくれたことが嬉しかったなあ。

 

んー。

多くを語らないおじさん。

 

 

2番の歌詞が、より想いたい光景と重なるから好きなんだけれど。

横浜公演、ちょうどその2番歌詞を目の前で歌ってくれて。

 

拳振り合って、

 「自然に溢れた笑顔が結局一番だから」と一本指を立て合って。

 

こういう瞬間の積み重ねだったんだよなあ。

 

 

「立ち止まって 振り返ってみて」でこちらに背を向ける雨宮さん。

「ほら」という言葉と共にこちらを振り向いたときの、嬉しそうな笑顔。

手を広げ客席を迎えいれてくれる姿。

 

もう、深呼吸なんて必要ないね。

 

 

大阪と横浜公演、座席振り返ると後ろの人がビックリしちゃうから顔を伏せて「ほら」で顔をあげるようにしていたんだけれど、あの笑顔を見た後に「ひとりぼっちじゃないでしょう?」なんて言われるもんだから、僕はもうなんだかひどい顔をしていたと思う。

 

 

 

「届いているんでしょ?」と伸ばされた手

「傷つかないでいいんだよ」と自分の胸を押さえ案じてくれた手

 

全部を大切に、明日からも頑張ろう。

あと1分で4月1日か。

 

嘘にしないように、頑張ろうね。

 

 

「大丈夫」

その言葉だけは、決してあなたをひとりにしませんように。 


【15】Absolute Blue


『Song for』の後の『Absolute Blue』。

 

一緒に楽しい時を過ごして別れては、こうやって理想へ手を伸ばす姿を何度も受け取ってきたなあって。

 

バンドだったからかな、なんだかこれまでよりキーが抑えられている感じがあって。

 

理想に向かって手を伸ばそうとする鋭さというよりは、ズシリと重みのある歌唱に感じられて。

確かに、いつだって雨宮さんは『青』だったよなあなんて感じておったのでした。

 

落ちサビ、スクリーンを撫でる青い砂粒。

横浜公演の前もあったのかな。

 

その砂粒が“Various SKY”のロゴを思い出させて。

 

雨宮さんが向けてくれた語りの中で僕は“Various SKY”大阪のMCが1番嬉しくて心微睡むものだったんだけれど、その語りが不意に吹き抜けていって、後に残ったのはなんだかとても穏やかな気持ちだった。

 

本当に、愛しい時間の中で生きているなあって。

楽しいね、幸せだね。

 

うん、そうだなあ。

あなたが感じさせてくれる青が好きなんだよなあ。

 

サビ終わりの、この手を額へ引いてくるこの振り好きなんだよね。

ライブで一緒にやるの大好き。

 

 

そうだなあ。

 

遠い青へと手を伸ばす人の姿が、目の前に、そしていつだって僕の眼前には在って。

 

んー。

 

ドイツの詩人ノヴァーリスの未完の小説、『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(『青い花』岩波文庫)。

 

中世のひとりの詩人が夢で見た青い小さな花、純粋詩と理想的人生を体現した花を探しに旅立つ伝説を物語っている。

遠い理想のメタファーとして用いられたこの小さな「青い花」の人気は大変なもので、小説自体の流行を遥かに凌いだ。

 

その遥か以前より詩人たちの中には成句として「おとぎ話(contes bleu)」、「青い鳥(oiseau bleu)」という言葉があったが、それらの思想と合流し、以来、「青」はロマン主義の象徴的な存在となった。

 

『青』というのは、いつだって遠い色だ。

自然界に青色が存在しないことや青という色が生まれる性質の関係もあって、絵画などの美術的にも、バラやLEDといった発明においても、青は一番発明までの道のりが遠かった色だ。

 

『青』は未だ様々な分野において未解決であり、だからこそ、そこに夢が立ち現れている。

未来はいつも青写真から始まる。

 

“Various SKY”初日、優しいMC明けにこの曲を歌われた際に、「この人はこれから、どんな青写真を描きながら進んでいくのだろうか。」と思ったことを憶えているし、感想ブログか、当時コミケ用に寄稿した文章に書いたことを憶えている。

 

そこから、いつだって眼前に在ったのは青へと手を伸ばし続ける人の姿だった。

 

「おとぎ話(contes bleu)」、「青い鳥(oiseau bleu)というように、『青』という色は時に手が届かない色として形容される。

 

でも、なんだろうな、こう。

雨宮さんは、ご自身が描いた『青』をひとつずつ手に入れていく姿を想像できるんだよな。

 

理想、なりたいもの、やりたいことに手を伸ばしても手が届かなくて暗闇に覆われる瞬間がある。

 

「光が暗闇を覆うとそこに青が現れる」と詠んだのはルドルフ・シュタイナーという哲学者。

 

暗黒である空(宇宙の闇)を明るい大気を通して見たときに現れるのが『青』ということを彼は言っていて。

 

その暗闇に「それでも」と光を見出し立ち上がってきた人の姿は、いつだって最高密度の青色を纏っていたように思う。

 

ステージ上の、眩しいばかりにカッコいい青の衣装のように。

 

「掴み取る」と握った拳。

 

この人はこれから、どんな青写真を描きながら進んでいくのだろうか。


【16】Eternal


『Eternal』のイントロカットインはどの曲のアウトロからも心地良く繋がるなあ。

この衣装での『Eternal』、めちゃくちゃカッコよかったんだよなあ。

 

黒騎士的なイメージだったんだけれど、今回は青騎士でしたね。

 

Aメロ、「新しい世界へ」/「失った絆」

あそこの言い切り、「へ」と「な」のビブラート、最高だよな。うちらズッ友だよ。

 

2A、「暗闇の淵で嘆いていないで」。

ライティングが白黒になっていて、今この主人公の世界には「色」がないってのを想起させるような演出だったなあ。

 

そんな世界の中で2B、「滲みゆく世界」と歌唱されながらグイッとステージ前方へ踏み出していく姿、あそこ、たまらんのよ。

 

エネルギーはやっぱり、動いているものに貯まるんよね。

 

 

2サビ終わりの「It's a new world」の歌唱も好きだけれど、1番好きな歌唱は2サビ頭の「Inside my heart just go ahead」なんだよね。

 

フレーズ的にも、そもそも成句としてgo aheadが好きなところもあるんだけれど。

雨宮さんの歌唱もメロディーラインの疾走感とかも相まって、加速力を持って踏み出せる感じがして普段聴きすることも多いんだよね。

 

日々の中を泳いでいると、苦しい時や悲しい時は定期的に用意されていて。

そこを真っ直ぐ突き抜ける火種を分け与えてくれるような感じ。

 

 

そしてよ。

この曲の大好きポイントであるところの、Dメロ。

 

「降臨ゾーン」と勝手に読んでいる場面。

 

両脇にダンサーさんが整列したレッドカーペットを雨宮さんが歩んで、その歩みに合わせてダンサーさんが王へ忠誠を誓った騎士みたいに跪いていく場面。

 

あそこを毎回楽しみにしているんだけれど、今回はあの青衣装ブーストもかかって、半端ないカッコ良さだったんだよねーーー。

 

私も、あそこに隊列したい。

 

あー、『Queen no’ cry』の赤ボスとライバル関係にありそうな感じある。

わたし、その物語、読みたい。

 

そうだなあ。

MVに出てくる青の女王版も、いつか見ていたいな。


【17】Marvelous scene(愛知)


ここからは日替わり曲。

 

初日の名古屋公演で歌唱されだしたのは『Marvelous scene』。

 

イントロをクラップで入り、その付近であろう所でノートに殴り書きされている「ここのくいっ」

 

いや、わからんが!!!!!

 

多分、Aメロの「傷ついた心に 流れてく」から「冷たくこぼれ落ちる涙でも」への、ブランクを挟んでまた上る流れ。

 

ああいう所で体をガクンッとさせがち男児だけれど、この曲のここはめちゃくちゃ気持ちいのよね。

 

青い光に包まれて、身を屈ませたりのけぞりながら歌唱する雨宮さん。

 

ライブの『Marvelous scene』、タイトルがタイトルなこともあって、ふと会場を俯瞰的に見ることが多いのだけれど、なんだろうなあ、こう、かけがえのない時を過ごしていたんだなって思うのよね。

 

 

ライブが終わって、またこうして日常に帰ってきているんだけれど。

 

分厚い雲の裏に、越えられないような壁の裏に、見えないものの裏に、あんな風に光が隠れているのだとしたら。


【17】Trust Your Mind(大阪)


「ラストスパート、まだまだいくよー!!」と大阪公演で歌唱されたのは『Trust Your Mind』。

歴代青曲の中でもかなり琴線に触れる曲だし「聴きたいなあ」欲が高まっていたので、聴けて嬉しかったなあ。

このイントロ好きなんですよね。
高揚感と、なんとも形容しがたいエモさがあって。


「駆け出そう 本当の居場所はここじゃない」とダンサー引き連れ上手へ。

ここのメロディーラインも大好きなんだよなあ、この曲。
好きなメロディーしかない。

2番サビ終わりの「エナジー」、指づかいと立ち昇っていくモノがグッときて好きなんだよな。

間奏終わりのダンスもカッコ良くて…。


あとはね、サビの振りがたまらなく好きで。

ライブで曲を聴いているときはめちゃくちゃ曲に没入するタイプで好き勝手体が動くんだけれど、この曲はもう、「聴いていればそう動くだろう」ってくらい振りやらふとした雨宮さんの腕の動きやらがハマっていて、気持ちいんだよなあ。

「僕を包んだ/君を連れてく」の伸ばした手に込める気持ちとか、「あきらめられない/進んで行けばいい」で虚空を打つ掌とか。

抗う所は抗って、藻掻くところは藻掻いて、みたいな。

そこで鳴っている雨宮さんの歌唱も「手を差し伸ばされてる」と錯覚するような声色で。

こう、崖のぼりの最後の最後、引き上げられる感じがあったなあ。


んー。

「Your」なんだよね、「My」じゃなくて。


ライブで受け取ると「あなたを信じているよ」と届けられているように感じている節が勝手にあって。

なんだろうなあ、こう。

「必死に向き合わないといけないものに向き合うエネルギーをくれる曲だな」って普段聴きしていると感じていて。

だからかなあ、なんか、ライブで聴いていると勝手にひとりで必死になってる感覚があるんだよね(笑)
不思議だ。

きっとまた普段聴きしているとこのツアーの事を思い出すだろうから、その時はその時で、また必死でいたいね。

【17】Silent Sword(横浜)


横浜公演で届けられたのは『Silent Sword』。

 

「雨宮さんのライブ初めて~」みたいな方たちをライブ前によく見かけていたんだけれど、この曲を楽しみにしている方がすごく多くて。

 

良かったね(´×`)のお気持ち。

 

楽しいよねー、この曲。

 

イントロ、すごくワクワクするよね。

ドクドクとした鼓動みたいな感じがあって、脈々と受け継がれた意志みたいな感じがあって。

 

あまり鳴っている音を言語化できるほどの知識や語彙を持ち合わせていないのだけれど、生バンドの『Silent Sword』は気持ちいいね。

より静かに刀を研いでいるような、凛とした強さがあって。

 

ライブ全体を通してにもなってくるんだけれど、あまり天ちゃんバンドがフロントに出てくることがなかったように記憶していて(『Skyreach』くらい)。

 

この『Silent Sword』とかもそうなんだけれど、僕は雨宮さんとダンサーさんが視覚的に作り上げる曲の世界観、そういった可視化が好きな側の人間だから、そこがかき消されることなく気持ちいいくらいのバランスで成り立たせてくれているのは、とても楽しみやすいんだよね。

 

サビのこの振り好きなんっすわ~。

(これ)

 

こういうサビの構成、なんて言うんだろうな。

サビA、サビB?

 

そのサビB、「鋒の向こう描く奇跡が」以降の部分の歌唱が回を重ねるごとに強くなっていっているなあという感じがあって、にまにましちゃうね。

 

「Sword」のロングトーンもすごく綺麗で、高潔で。

 

2サビ終わり、鼓動に合わせて拳を打つ姿。

凛としていてカッコ良かったなあ。

 

なんと言っても、2サビ終わりの間奏ですよ。

 

上手側雨宮さんから横一直線にダンサーさんが並び、ヒップホップ系のリズム取り(語彙)からの雨宮さんがダンサーさんにフッと投げた振りを下手側へ全員で繋いで受け取った最下手のダンサーさんがそれを折り返して再び雨宮さんが受け取り「指の先を流れる 生命の脈動は」と歌いだすところ

 

(Gifで説明したい)

 

大好きなんだよなあ、ここ。


【18】Skyreach


そうそう、そのマイクスタンドなんよ。

 

もうこのマイクスタンドだけで、色々思い出せて、ほっこりしますね。

 

プレリリースイベントで「青なんですよー!」とすごく嬉しそうにされていた光景とか。

 

リリースイベント池袋アニメイト回での、「これから歌唱コーナー!」となり中央に運び込まれたマイクスタンドを、上手端で水を口に含みながら冗談めかしてイヤそうに見つめていた光景とか。

 

走馬灯でわざわざ流さなくても、この辺りの記憶はたぶんずっと憶えていると思う。

 

ほやー。

このイントロはいつ聴いても元気になるなあ。

 

Aメロ直前の、足幅を整えそっとマイクスタンドを握る姿。

 

おっくん、じろっちが前に出てきて客を煽る。

 

“The Clearest SKY”ではもっと寄せる感情がドデカすぎてそこまで思考が行き着かなかったけれど、そうか、「生バンドSkyreach」なんだね。

 

プレリリースイベントで『Skyreach』の曲オケに触れつつ「生バンドかっこいいですよね!」と興奮気味にお話されていたのを思い出しながら、あたたかい気持ちになっておりました。

 

かっこいい衣装で。

やっぱりあなたは青が似合うなあ。

 

「Skyreachの歌詞は強いイメージじゃなく、弱い人が強くなろうとしているイメージ」

 

そう、リリースイベントのタワーレコード回でお話されていましたね。

 

んー。

 

カッコいいなあ。

幸せだなあ。

なんど励まされてきたんだろうなあ。

 

とスタンドマイク置きに行く背中が滲むのでした。

 

ラスサビ終わりの「オイオイ」。

 

リリースイベントの中でコールが出来上がっていって、アニメイト池袋回ではMCの中で触れてくれたり歌唱後には跳び上がって喜んでくれていたのを憶えています。

一時期やる人が減ったなあという時期もあったけれど、それでもずっと雨宮さんはあそこで拳を2回振ってくれていて。

 

声が出せない今回のライブでも継続してやってくれていて。

はやく声出して「オイオイ」したいな。

 

 

横浜公演のラスサビ歌唱後のアウトロで、一瞬、また笑ってくれたこと。

 

これからも、よろしくね。


【19】Next Dimension


イントロのピアノが美しい…。

イントロからの、風が吹き抜けていくようなイントロすごく心洗われますよね。

 

「名残惜しいですが、次が最後の曲になります。今日、みなさんに会えて本当に良かったです。心の中で、一緒に歌ってください」

 

と歌われた『Next Dimention』。

 

手を振りあいながら、語りかけるように歌う雨宮さんの笑顔。

 

この曲全体の、高音のキラキラした成分がある雨宮さんの声、好きだなあ。

 

キラキラしているんだけれど、真実を見据えているよな眼差しを感じるような声。

 

 

リード曲の「Queen no' cry」がみんなを力強く引っ張り上げていく曲だとしたら、「Next Dimension」はみんなと歩幅を合わせつつ背中を押すような曲になっていて。基本的に、私の曲には“自分”という確たる存在があって、それぞれの世界観でそれぞれの主人公が自分の信じる道を貫くさまを描いていることが多いんです。それに対して「Next Dimension」は、聴いてくださる方に寄り添うことを目的として選んだ曲なんですね。

 雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

 

曲のイメージとして、「白、正統派ヒロイン、近所の幼馴染」「みんな大好き王道曲、希望的で優しめな歌詞のイメージ、切ないけど前向きな旅立ち」ともお話しされていましたね。

 

その言葉がぴったりハマるくらい、近くて、優しくて。

 

インタビューの中で、

 

「ええと、「Next Dimension」の歌詞には「僕」と「君」がいるんですけど、そういう近しい間柄の2人の世界を描いた曲が、私にはあんまりないんですよ。だから例えば「僕は僕になる」という歌詞だったら、それはあくまで自分の意思として自分の中に秘めていることで、わざわざ隣にいる「君」に伝えるということをしていなかったんです。」

 雨宮天「Paint it, BLUE」インタビュー|デビュー5周年を終え、未来に向けて力強く踏み出す一歩 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー:取材・文 / 須藤輝)

 

 

とお話しされているように、「僕」と「君」がいることがこの曲の味噌だと思うんですけれど。

 

 

んー。

 

幸せも不幸せもごちゃごちゃのごった煮になって変質し続ける。

そんなものに翻弄されて毎日がある。

 

頑張っている人って、「孤独」じゃないですか。

 

 

自分が「孤独」を感じているから、とか以前に、世の中頑張っている人みんなそうでしょみたいな偏見あるんですけれど。

 

 

誰しもが、頑張る時には世界に身一つで佇まざるを得ない。

 

そこに「協力」があるかは付帯状況でしかなくて、本来はそういうものなんだろうと思っている。

 

自分の足で立って自分の言葉で世界に対して向き合って、本来それは「自立」であるんだろうけれど、時々それを「孤立」として感じてしまう瞬間がある。

 

しかも、そんな夢想をするときはたいてい、ひどく緊張したり、何かに重圧を感じていたり、何かを負わなければならないと感じているときだ。

 

ぐったりと家に帰ってソファーに倒れ込み、液晶に映った自分の顔をながめながら、左手首をこすっている。

 

自分は自分として生きようにも既にそこには誰かの求める「自分」がいて、そうやって「自分」であることを引き受けなければならない。

 

「自分」でいることを要求されているのに、世界から自分が滑り落ちている。

 

 

もしかしたら、自分が自分であるという責任から、逃れたいだけなのかもしれない。

 

「なんで自分はこうなんだろうな。」 

よくそんなメンタルを裏に隠して会いに行っていたように思う。

 

 

「ノイズに耳貸す瞬間さへ」で優しく手を伸ばしてくれた景色を、ライブが終わって一週間立った今でも鮮明に憶えている。

 

ああ、

 

と思った。

 

「君の夢は」の優しく母音の残りが心地良い歌唱と、「君以外見られない」という真っ直ぐに歌えかけるような声色が心の中で何かを巻き上げるように吹き込んだのを憶えている。

 

こんな風に。

こんな風に手を差し伸べられて、あたたかく送り出されて頑張ってこれたことが幾つもあった。

 

「“不可逆”ってくらい 知っていたでしょ?」という語りかけで始まるこの曲。

 

作詞をてがけられた大森さんが「書き出しが最後まで変わらなかった」と話されているけれど、それだけ“不可逆”という言葉はこの曲のキーになっているように感じている。

 

んー。

 

なんだろうな、こう。

 

自分ではない誰かが自分に対して「あなたはこうです」と作り上げ突きつけてくるものに酷く疲れることとか、「なんで自分ってこうなんだろう」という自傷的な刷り込みによって動けなくなる時っていうのが、どうしたって在って。

 

人と関わるってそういうことだし、生きていくってそういうことだから。

でも、それと同じくらい当たり前のことなんだけれど、「“不可逆”なんだよなあ」と優しい歌声を聴きながら思い始めていた。

 

時を遡行して誰かの思う「自分」っていうのは根本からは覆すことはできないし、自分が「自分」として積み重ねてきたものを変えることなんてできない。

 

それらを受け止めた上で、僕は僕になりたいなと思ったし、ならないといけないなと、優しく届けられる言葉を受け止めていた。

 

 

差し出されるその手に泣きそうになるけれど、まずそういう状況になりたくないし、自分が手を差し出す以前に「君」にも崖から落ちそうになってほしくないので、「君」も君で頑張ってほしい。

 

 

 

君は君になれ 

君の夢は君以外見られない

(...)

心のまま理想を生きて

 

というサビ部分。

 

自分にとって大切で、不可逆で、自分などないままに幸せに生きてほしい相手へ向けたエールの部分。

 

君は君で、僕は僕で、不可逆。

 

でも、ただ相手へエールを伝える曲ではなくて。

 

「あなたがその道を行くために自分はこう在りたい」と心に刻んでいるように歌詞が紡がれていくことが、とても喉奥を締め付けてきます。

 

この主人公自体も、すっごく頑張っていて、だから同様に孤独を感じていて。

それがDメロの、「無邪気な期待抱くには 人生、現実は残酷みたいだ」という歌詞から僕は感じるのです。

 

でも、その直後の歌詞に「それでも 抗う互いを 勇気に・・・」と続いてラスサビ。

 

僕は僕になる

僕の夢は僕以外は見られない

誰にも任せられない

少し怖いけど 孤独追い越してゆく

胸の熱さ信じてみたい

 

と、この部分だけ自分を主語に、密やかに自分の中に宿った灯りのあたたかさを感じ取る場面がとても好きです。

 

雨宮さんの挑戦を受け取ったあとにいつも起こる自分の心境とリンクして。

こういう曲を届けられると、そういう気持ちに鳴るんだよね。

 

綺麗な共鳴はできないんだけれど、 その振幅の中に内包されたものはいつもこれからも大切にしていきたい。

 

「君」のための曲なんだけれど、「僕」のための曲でもあって。

 

無邪気な期待を抱くには残酷な”不可逆”の世界。

在りたい姿からかけ離れた不真実な二人が、真実の自分になるために抗っていくような、物語性のある曲かな。

 

 

「心のまま 理想を生きて」と胸を叩く雨宮さん。

 

その言葉こそ、そのままお返ししたいんだよって思いながら、真っ直ぐ見つめ返しながら僕も胸を叩いていた。

 

「爪先から瞳逸らし見上げた 青は変わらず 澄み渡って眩しい」

 

『Skyreach』の後に歌われた『Next Dimension』。

 

僕の中にある『Skyreach』の後に続くトラックはこれまでずっと『夢空』で。

 

最初のリリイベで何度も繰り返した流れというのもあるけれど、

 

『Skyreach』は「強い意志の詰まった曲で、この曲に込められた想いが伝わるよう魂を込めて歌わせていただきました。気弱ではありながらも私の中には野心みたいなものもあるので、そういった意志や想いを今回の曲に一生懸命詰め込みました。」(8月13日にデビューシングル「Skyreach」をリリースする声優・雨宮 天にインタビュー!とお話しされているように、雨宮さんの「意志表明」みたいなところもあったように受け取っていて。

 

「私は私になる」と、そんな意志表明の『Skyreach』から「私はこういう風に進んで行くからよろしくね」と、目を合わせ届けてくれていたように思うのが『夢空』。

 

そうやってなりたい「私」に向かって手を伸ばす姿を、そこへ向けていた眼差しをどう感じてくれていたかはこちらからは何とも言えんのだけれど、だからこそ『夢空』の雨宮さんもちゃんとそこに在ってほしいなと想い続けていた日々ではあって。

 

そんな風に関わってきたなって、あたたかい日々を懐旧できるのだけれど。

 

今回のライブでは、『Skyreach』からの『Next Dimension』。

 

「アルバムの曲順はお任せしているけれど、ライブの曲順は自分で決めている」という趣旨のお話をよくされているから、おそらく今回もそうなんだろうと勝手に思っているのだけれど。

 

そうかって、嬉しくなったなあ。

日々を流れてきて、こんな僕らになれたんだって。

 

「心の中で、一緒に歌ってください」

 

その言葉が、今、雨宮さんがこちらに感じてくれている距離感なのかなと思っていて。

 

距離感というか、この曲の「君」と「僕」に投影される物語こそ、今、互いが互いに対して「在ってほしい」姿なんじゃないかなあと思っていて。

 

簡潔に言うと、「君は頑張っているだろうから僕も頑張ろう。そんな風に僕も頑張るから、君も頑張ってね。」みたいな。

 

「抗う互いを勇気に」

 

なんか、魔法みたいな言葉ですよね。

 

それをライブで、優しく目を見て手を伸ばしながら届けられたら、もう。

 

 

んー。

 

これだけ近くに感じても、でも本当はあなたも絶対的な他者なのであって。

 

自分とはまったく別の他者であるにも関わらず、それも僕も彼女もそれぞれのユニークな、交換不可能な絶対的孤独を生きているにも関わらず、しかしその存在において繋がっていることってなんだかとても不思議で、愛しいなと思う。

 

人と人とが適度な距離感を保ちながら、じんわりと影響を与え合うのはなんて尊いことなんだろうね。

支え合うことなんてできないけれど、誰かの明日の中に生きてそこに居られるのなら、すごく幸せなことだと思う。

 

互いの人生が全く異なるように、互いが見ている言葉の姿はきっと違っていて、すべてが伝わることもすべてが共感や賛同に変わることもありえないまま、通じあわないまま。

 

 

だからこそ僕たちは言葉の中で繋がっていけるのかな。

そうしてお互いがいるから、別の場所にいたってそれぞれの夢に向かって進んでいけるのかなって。 

 

あなたにとって、そんな「君」で在りたいな。

 

「君は君になれ」という未来の不確定なものに、「僕」を見出しているから、確かな過去や属性を捨てていけるわけではない、無視しているわけでもない、でもそのままで不確定さに向かって生きていけるから、「僕」は「僕」であることに失望せずに進んでいけるような気がしています。

 

頑張んなきゃね。

 

自分で見つけたり見つけられたりする可能性を高くする努力をしなきゃ、探しきれないくらい広い世界中を探さなきゃいけなくなっちゃうもんね。

 

最近、「Hold steady(自分自身の手綱を握っている)」っていう成句が好きだなあってSAKEを飲んでいるんだけれど、そんな状態で、またここに帰ってきたいな。

  

 

 

頑張るときに、いつもあなたを想えたら素敵だな。

在ってほしいのは、頑張ってる人が報われますようにっていうそんな当たり前のこと。

 

 

書くタイミングがどこにもなかったのでこの位置に書きますが、間奏部分ではダンサーさんの紹介もされていましたね。

 

◆天ちゃんダンサーズ

MIKU、SAIKA、YUKA、HANA

 

個人的ハイライトは、やっぱり『Queen no' cry』かなあ。

でもどの曲も本当に素敵な場面が多くて、たくさん文章で触れているのでそれは伝わると思うんだけれど。

 

 

可視化を受け取る上で欠かせない存在だと思うし、毎公演楽しみにしているところなので、今後もぜひ楽しませていただきたいね(´×`)


【En:20】君を通して


アンコールの手拍子を受けステージが明るく灯ると、「一緒にクラップしましょー!」と雨宮さんが登場。

 

終始、上手から下手へ1階席から2、3、4、5階席へすべてに笑顔で大きく手を振る雨宮さん。

 

「ほら ほら ほら ほら」で指差しあったり、手を振り合ったり、本当に優しい時間が流れていたなあと。

 

そこに居てくれてる感、「構わない」というか、黙って待っててくれる感ある歌声で、好きなんだよなあ「君を通して」。

気遣いと慈悲に満ちていて。

 

 

ほら 前向いて」の笑顔。

 

「背中を押してあげる」の全力宮さん。

 

上の階の人へ、分度器を目の前に置きたいくらいの角度でブンブンと手を振りながら「私みたいだな」って歌ってるの、微笑ましいを通り越して大笑いしてしまった。素敵ね。

 

「君が 私を通して強くいられたら 私も嬉しいから」で胸をたたく雨宮さん。

 

 

Dメロ、より歌唱が強まったように感じていて。

感じるところはいろいろあった部分で、うん、嬉しかったなあ。

 

同時に、あのDメロの歌詞はこちらから雨宮さんにお返ししたい気持ちと結構リンクするところがあるなあと受け取っていて、強まる歌唱にこちらの想いも溢れそうになっていたのでした。

 

そうだなあ。

 

元来の性質だった「突き詰めれば自分が悪い」と考えなくなったし、ゆっくり歩くことを憶えたし選べることが増えた気がする。

 

 

にゃー。

 

 

アウトロ、にへーって笑顔で、クラップを浴びながら腕を/\にしてぺぺんぺぺんのメロディーに合わせてポーズとる宮さん、えがった...。

 


MC3

バブ着のこだわりについて熱く語られていたり。

 

大阪公演ではグッズの「青い人なりきりアイマスク」に触れつつ顔全部覆うバージョンの誕生の是非を問うたり、レコードバッグは頑張ればキャベル7~8個入る(長ネギもだいぶ隠せる)宣伝もされていましたね。

 

青い人なりきりマスクは今回の移動で大活躍だったし(安眠でした)、バブ着も昨日今日と福岡は寒かったんですけれど大活躍ですし(安眠でした)、レコードバッグは白菜が3つ入って大活躍でした(お陰で安眠できました)。

 

 

そうそう、名古屋公演では会場限定カラーが「赤」だったことと前曲の『君を通して』のジャケット写真が「赤」だったことを絡めてお話されてもいましたね、

(あのジャケット好き...)

 

 

そんでもって、横浜公演。

 

即アドリブで演奏を始めたちゃんへー2022をはじめとするバンドメンバーの対応力が素晴らしかったし、『火花』の収録エピソードなどで「1回も同じアレンジはなく、毎回違ったものを試してくれる」みたいな趣旨のお話をされていましたけれど、毎回少しずつ違ったアレンジで盛り上げてくれて飽きがなく楽しかったです。

 

『夢空』アレンジ全パターンと一緒に、そらのはるやすみバンドアレンジ全パターンも出してください。お願いします。

 

 

 

「帰ってきませんね」

「本当に春休みになっちゃったよ...それではもう1回聴いてください。『そらのはるやすみ』」

 

ここ、大好き。

 

天ちゃんバンドと雨宮さん、ほんとうに、こう、いいカンパニー感でやられているんだろうなあというにが伝わってきて素敵なんだよなあ。

 

自分もああいうグルーヴで仕事したいものね。

 

生そらのはるやすみ、可愛かった(´×`)


【En:21】誓い


「みんながくれた大切な想いを、お返しするような気持ちで1人1人に歌いたいと思います。」

 

語りかけてくれるような、優しい歌唱で。

やさしく手を差し伸べ、柔和な笑顔で。

 

本当に素敵な歌詞ですよね。

 

不安な夜、癒してくれた言葉。

 

あなたの勇気で心が灯ってきたこと。

 

 

湯船から溢れ出したり残り6%くらいになったり、でもどんなに落ち込んでもそれより減ることなかったのは、こういう光景、届けてくれてきたからなんだよなあって。

 

冷たく閉ざされかけていた心を何度も溶かしてくれたものの存在を感じながら、聴き入っていたのでした。

 

 

 

『誓い』のラスサビ、ぶわーっとこちらへ照明が向けられるの好きなんだよね。

 

届けられている、っていう肌触りが増すようで。

 

なんだかとてもあたたかい気持ちになって。

 

月を背負って暗い路地を歩いていく。

辿り着いた家の窓には、すでに灯りが点っている。

それがあなたと出会ってから僕が見つけた光だということを伝えたい。

 

 

 

 

 

このライブの『誓い』は、なんかこう、よりこちらへ寄り添うような眼差しがあったように受け取っていて。

 

うん、優しかったなあ。

 

 


【En:22】This Hope


イントロに乗せて、

 

「今日は本当にありがとうございました。次で本当に最後になります。今日持ってきた全部、全部を振り絞って歌うので、受け止めてください。」

 

 

と挨拶してくれた雨宮さん。

 

 

「受け止めてください。」という言葉が、とても心に残っています。

 

勝手にですが、雨宮さんは「受け止める」という言葉になんらかの定義を独自に持っていらっしゃるんではないかなと思っていて。

 

 

『Various BLUE』のリリースイベント大阪では、曲をもらった際に「受け入れる」と書かれていた歌詞を「受け止める」に替えてもらったというお話をされていました。

 

「受け入れる」のではなく、「受け止める」

 

このアルバムの中で「受け止める」が歌詞に含まれていた曲は二曲しかなくて、それはきっと新規曲であった『After the Tears』なんだろうなって。

 

みんなといれば 私らしく いられるよ きっと 

どんな自分も 受け止める勇気 くれたの

 

ありがとう 大好き そんな気持ち 愛をこめて 歌おう

 

 

そして、もう一曲はデビューシングル。

雨宮さんの「意思」と「意志」が詰まった『Skyreach』。 

 

 

どんな未来でも受け止める私でいたくて 今はもう振り向かない

 

 

 

 

 

邪推かもしれないけれど、なんだかこだわりがあるんだろうなあと受け取っていて。

 

そんな言葉で向き合ってくれたことが嬉しくて、僕がこのライブ瞬間最大風速で泣きそうだったのが、名古屋公演でのそこでした。

 

 

 

最後に届けられたのは、『This Hope』。

横浜公演のイントロで見せてくれた笑顔が忘れられない。

 

イントロからエモいメロディーですよね。

コード進行も琴線ど真ん中ストレートでねぇ。

 

雨宮さんがインタビューで、

 

「『This Hope』はもうとにかくわかりやすくキャッチーに作っていこう、みんなが好きそうなコード進行を使おうと考えて作っていたので、作曲は基本的には大変ではなかったです」

声優・雨宮天、ベストアルバム収録の新曲に込めた想いとこだわり

 

 

とお話しされていて、普段聴きの段階でもう「ガッチリ捉えられてます」って感じだったのだけれど、ライブで語りを乗せられて届けられたらもう、胸がいっぱいになってしまった。

 

 

疾走感あるメロディーにいろんな思い出が走り抜けていったのだよな。

 

1番の歌唱を聴いていると、意志を持って自分を革めながら進もうとされていた雨宮さんの姿が思い出されてきて。

 

夢に描いた明日へ、足掻きながら藻掻きながら、手を伸ばす姿を見せ続けてくれた日々。

 

 

 

 

 

「本当にずっとこの人は青かったなあ」って、そうやって雨宮さんが駆け抜け見せてくれてきた日々が、今こうして目の前で懸命に歌っている人へ多重露光しながら重なって見えて。

 

そんな折に、「ほらもう大丈夫」という、強く、でも優しく届けられるような歌声。

 

この「ほらもう大丈夫」っていう歌詞がどういう心の動きで紡がれたのかは慮ることはできないし、勝手に思ってはじんわり心が熱くなるところはあるけれど、口にして返すのは違うし、野暮だから多くは言わないんだけれど。

 

 

「今」だから出てきた言葉だろうし、これまでを歩んできた今の雨宮さん内に「もう大丈夫」っていう気持ちが宿っていることが、何より、何よりホッとするし、この感情が何なのかは分からないんだけれど、グッと堪えていないと駄目だった。

 

 

1サビ、体を折りたたみ振り絞るように歌唱される雨宮さん。

「夢に描いた明日掴む」と青空に手を伸ばす姿。

綺麗だった。

 

 

2A,Bメロ、胸を抑えながら、自分の内から言葉を絞り出すように歌唱される雨宮さん。

 

そうだなあ。

この2番の歌詞は、雨宮さんの内に在った弱さが表れている言葉のように受け取っていて。

 

 

 

「雨宮さんがどういう人か」という問いを向けられたら、僕は「弱さを受け止め変わっていける人」と答えたいと思う。

 

 

「私は私のままでいながら、ネガティブがくれた短所の自覚を味方に、ちゃんと変わっていけるように頑張ります。」

 

 

2014年の大晦日のブログ記事にて語っていらした言葉です。

 

僕が見てきた雨宮天さんは「ネガティブ」と言っても、ご自身の中でそれを克服しようと藻掻いて、足掻いていける人でした。

 

 

自分は自分だし自分のこと嫌いな時があっても改善を重ねながら自分として生きていたいし、誰かの自分への理想より自分の自分への理想を叶えたい。

 

雨宮天オフィシャルブログ『空腹3』

 

デルモア・シュワルツという作家が『In dreams begin the responsibilities(夢の中で責任が始まる)』という短編小説を残しています。

 

「夢を見た瞬間、そこには責任が生まれ様々な苦難や葛藤が始まる」

 

雨宮さんはその責任に対して真正面から立ち向かってきた人のように思えます。

だからこそ僕は、ずっと雨宮天さんを「カッコいいなぁ。」と思っていたのでした。

 

 

弱さにも二種類あると思うのです。

 

「弱さを受け入れ、その弱さを武器として生きていこうとする姿勢」。

 

「自らの弱さを受け止め認めつつ、自分にはそこから何ができるだろうと改善、弱さからの自立を求める姿勢」。

 

前者は「弱さに溺れる弱さ」、後者は「弱さの中にある強さ」と換言しておきましょう。

その善悪は置いておいて、結論から申し上げますと、僕が雨宮天さんに感じるのは後者です。

 

 

2016年に機会があって雨宮さんが感じさせてくれていた感覚をこうやって言葉にしていたのですが、そこから6年経った今までも、雨宮さんが見せてくれてきた姿は「ネガティブがくれた短所の自覚を味方に、変わっていける」姿でした。

 

なんかちょっと泣きそうになってきてしまった。なんでだろね。

 

 

んー。

そうだなあ。

 

これまで進んでこられた道に、そこにどんな苦悩や葛藤があったかなんて慮りきることは出来なくて。

だからこそ、僕らはこういう関係でいられると思うのだけれど。

 

そんな風に、2番はそうやって「弱さを受け止めながら」進まれてきた雨宮さんの姿を追体験させるような歌唱として受け止めていました。

 

 

 

本当に、叶えたい自分の理想に向かって、「自分自身こそ希望だと証すため」に自分を受け止めながら何度も立ち上がって、突き進んできた人だと思います。

 

僕はそんな雨宮さんを感じられる青軸が好きなので、これからも、『青』、歌い続けてほしいな。

 

 

アウトロ。 

 

「今日は、本当にみんなに会えてよかったです。みんなの私に向けてくれるその笑顔が、いつも力になるんです。すごく緊張する場面もみんなとともに挑戦していきたいですし、これからもずっと元気に届けていくので、また元気で会いにきてくれたら嬉しいです。」

(名古屋公演)

 

「みんなに今日会えたことが、本当に、またこれから先の私の力になるんだって感じています。たくさんたくさん、笑顔をくれて本当にありがとう。また会える日を楽しみに頑張るから...頑張って。今日は本当にありがとうございました!雨宮天でした!」

(大阪公演)

 

「今日は本当にありがとうございました。これまでを振り返ってみて、本当に挑戦だらけだったなって思っています。中には、身の丈に合わない挑戦だなって思うこともたくさんあったり、自分でどうしてこんなことができないんだっていう絶望もありました。でも、ここまで進んで来られたのはステージに出ればいつもみんながいてくれて、青い光で照らしてくれて、大丈夫だよって私に伝えてくれたからなんです。怖くても、もうダメだって思っても、自分自身こそが希望だと、私が希望であり続けると証明するために、どんなに辛い時でも、みんなの力を借りて、みんなの光に照らされて、これからも挑み続けます。本当に、ありがとうございました!雨宮でした!」

(横浜公演)

 


 

その過程で、僕らを受け止めてくれたこと。

それが何よりも、幸せです。

 

ありがとう。

 

 

 

尊敬するあなたと共に立っていられるように。

前に進めるように。

同じ人間として、胸を張れるように。

僕は僕のできることをしたいと思う。

 

僕らは先へ進まなきゃ。

上へじゃなく、先へ。

 

その過程で。

僕が僕を受け止めて前に進んでいくために。

あなたを見て感じたこと、僕の中に残ってゆくものを、大切にしたいと思います。

 

 

ああ、「頑張って。」という言葉に、見合う人間になりたいな。


やっぱり、みんなと過ごすライブは楽しいね!!

 

前日入りしてスポッチャで遊んで身体をバキバキにしちゃったり、当日デパ地下で美味しそうなパンを買い込んで広場で食べたり、開場までまったりカフェで駄弁ったり、競馬や甲子園見たり、朝4時までお風呂に入って駄弁ったり、美味しいご飯を食べたり。

 

いろいろと遊んでくれて、みんなありがとうございました。

今回もとても楽しかったです。

みんな、元気でいてくれ。

 

こういう思い出のたびにLINEのグループアルバムの写真がどんどん増えていくのがなんだかとても幸せで、本当に、出会いのキッカケをくれた雨宮さん(麻倉さん、夏川さん)には感謝しかありません。

 

久々に、2年以上ぶりに会えた人たちも多くて。

とーーーーーーーーーーーーーっても嬉しかったなあ。

 

 

本当に、こう、嬉しいことがたくさんあって。

僕が嬉しいって、こんなに嬉しいって思えるのは、あなたのお陰なんだね。

いつもありがとう。

 

なんだろうな、こう。

 

 

 

総括:幸せなライブだった

 

 

なにもないこの世界だけれど、時折素敵なことが起きる、だから僕らはやっていける。

 

「互い」をとても意識させるようなライブだったように僕は受け取っていて、だからこそ、拳を握って「頑張ろう」と思える場面が随所にあったように思う。

 

そうだなあ。

 

「もっとがんばれ」でなく、「がんばっているね」と伝えられる人になりたいな。

 

 

今回のライブも、たくさん心を動かせて楽しかった。

たくさん笑って、たくさん胸が熱くなって、幸せだった。

 

いつも、ありがとうね。

 

また、元気で会おうね。