こちらは2020年1月18日、19日に行われた『LAWSON presents 雨宮天ライブ2020 “The Clearest SKY”』への懐旧譚。
青いなあと思った。
この5年間、ずっと青だった。
青、寒色、クール。
僕たちの身体の内を流れる赤、それから最も離れた空奥深くの青。
手を伸ばすだけは届かない冷たい色。
隣の芝生は青いだとかいう日本語に限らず、幸せを運ぶ青い鳥だとか、世界的に『青』っていうのは自分から遠く離れた、『理想』を表現する色だ。
以前、雨宮さんは『青色』に込めてきたものとして『意志』と答えられていて、僕が雨宮さんに多く見てきた『青色』はそういう、鋭く理想へ届こうとする『意志』だった。
キリスト教の聖母マリアは赤い衣服と、そして必ず青いマントを羽織って描かれる、という約束事をご存知でしょうか。
赤色は血、生命を産む母の色。
青色は天の色、つまり海や空、包容力を指し示す。
繰り返される生命の営みを人間の手の届かない領域で青が包み込んでいる、聖母マリアの宗教画にはそんな意味合いが込められていたりもするらしい。
この限りにおいて、僕は雨宮さんが時折見せる『青色』が好きだ。
青、寒色、クール。
僕たちの身体の内を流れる赤、それを包み込んでくれる慈愛の青。
僕らを優しく包み込んでくれる暖かい色。
雨宮天さんは、ずっと青色みたいな人だった。
『理想へ意志を携えて遠く手を伸ばしているような人』として、『僕らを人として認めてくれて、直接的な関わりはないけれど寄り添うように優しさを届けてくれる人』として。
だから僕には、その濃淡はあれど、そのふたつの性質において雨宮さんの楽曲はすべて『青色』の叙景詩として感じられていて、まあ全部こじつけなんだけれどな、ガハハ。
これまでがずっと青で、
これからもずっと青なんだろうなあと思う。
(猿蟹合戦より抜粋)
会場に流れていたのはドビュッシーの『月の光』。
美しい旋律にこれまでの思い出が照らされ浮かび上がっては、その影が自分の方へもちゃんと繋がっていることが認められて、緊張した心を安心感が撫でてくれるようなひととき。
どうでもいいですが、『アラベスク第一番』が僕は好きです。
時刻はどんどん迫り秒針の音が大きくなるにつれ、なんだかその音が自分の心臓の音のように感じられ、まるで新年を迎える直前のような不思議な高揚感なのでした。
鐘が鳴り響き、雨宮天さんの新たな挑戦の時がはじまると、流れ出したのはラスボス戦みたいなBGM。
パンフレットにてソロライブを「そこでしか得られないものがある大きな挑戦の場」と形容した上で「主に自分との戦場ですが、青きパーティメンバーの支援でなんとか勝ち、スペシャルな宝とビッグな経験値を手に入れる!そんな場所ですかね!ボス戦!笑」と語られていたのを思いだし、これからこのビッグな難敵をどう攻略していくのか。
スモークの中に召喚されたそのシルエットに少し、ワクワクしていたのでした。
01.Defiance
"あと何度傷つけば 終わるのだろう
出口のない果てなき 道の途中"
と、階段上で歌い出されたのは『Defiance』。
本来は戦いを望んでいない人が『それでも守りたいものがある』と内面の弱さに葛藤し藻掻きながら立ち上がるという世界観であるこの曲。
なんだか、雨宮さんのこれまでの5年間を凝縮したような時間に感じられたのですよね。
怖がりながら苦しみながらも、不器用に藻掻いて足掻いて、挑み続けていく姿。
そんな姿にあの日の僕はなんども勇気づけられて、その日もまた勇気づけられて。
すごく味のあるトップバッターだったなあと思うのです。
曲が進むにつれ込められる意志は大きくなり、終盤はさながら絶唱。
巻き上げられるように、こちらの感情も昂ぶっていくのでした。
この曲、聴けば聴くほど好きになっていくのだけれど、ライブでもっともっと好きになったなあ。
02.Eternal
ダンサーを引き連れ歌い出された『Eternal』。
ダンサーさんとの振りといえば、何度も言うけれど歩みを進めていく雨宮さんに対し次々と聖騎士たちが跪いていくようなDメロが訳分からないくらいかっこいいのだ。
かっこいいと言えば、ラスサビ直前(だったと思う)の照明。
対角線上に光が交差していてその中心に雨宮さんがいるという構図。先述したDメロ直後であったこともあり、もうかっこよさが天元突破していて曲終わりに思わず苦笑いしてしまうほどのレベルでした。
あの部分、発売される映像でかっこいいアングルで納められていたら嬉しいなあ。
そうそう、衣装が青ではなく白黒でスタートしたことに少し驚きもあって。
Defianceの白、Eternalの黒、だったのかな。
この真反対の2曲が、バンドによってタイムラグなくスッとオセロを裏返したみたいに繋がったのは気持ちよかったなあ。
03.チョ・イ・ス
かっこよさの余韻が冷めないままに、明るいイントロに乗せて届けられる「一緒に楽しい時間をつくりましょー!いくよー、チョ・イ・スー!せーのっ!」という弾んだ声。
ああ、そうよ、このかっこよさからの転調なんだよ、この人は。
『チョ・イ・ス』といえば1番サビでチョ・イ・スされるかドギマギした後の2Aメロ
"さてそろそろいくかな"
の部分で、自分が上手側にいる時は向こうへ歩んでいく雨宮さんの背中を、下手側にいるときはこちらへ向かってきてくれる雨宮さんを楽しむまでが当社推奨の楽しみ方。
ということで、両日共に今回は上手側で雨宮さんの後ろ姿を見送ったわけなんですけれど。
以前アニカンの記事(月灯り:2nd Single Part2)で『チョ・イ・ス』について「街中をスキップしながら、自分の好きな場所に、好きなことをしに行くようなイメージを持った曲です。」と仰っていましたね。
『チョ・イ・ス』といえばリリース当初、実はあまり『雨宮さんの楽曲』という感じがしていなくて。
理想に向かって進んでいくという意志の込められた1stシングルの『Skyreach』、不安に対して怯えながらも歩みを進めていくという『夢空』、立ち止まってしまっても自分を突き動かす熱を篝火に弱さを強さに変えていこうとする2ndシングルの『月灯り』。
それまでのどの楽曲も声優として曲の主人公を歌いつつ、どこかにそれまで見せてもらっていたパーソナルな一面を感じさせてもらえるような楽曲だったけれど、2014年の2ndシングル『月灯り』のリリースイベントでは「チョ・イ・スは自分らしくないチャレンジな曲でした。『赤いスニーカー』という私でない感じが凄く好きなんです。」と仰っていたように、『チョ・イ・ス』の主人公は当時見せてきてもらった中では雨宮さんの姿を感じることがあまりなかった気がするんですよね。
当時は、あちこち手をかけながら藻掻いたり足掻いたりしながら進まれていくのだろうけれど、いつか『これが私のやり方よ』と自分自身で認められて優しくなれる日がちゃんとあってほしいなあと、聴きながらに思っていて。
僕らがいるここを好きな場所だと思ってくれて、好きなことをしに来るみたいに会いにきてくれる日が来たらいいなって思っていて。
そんな『チョ・イ・ス』がだんだんと雨宮さんが自分の弱さを強さに変えていく過程で、僕たちを味方だと認識してくれる過程で、歌唱されるごとに味方を巻き込んで楽しそうに歌われていくようになっていって。
そして今回、"さてそろそろいくかな"で見送った姿。
眼前に広がるたくさんの青に向かって笑顔で歩んでいく姿。
その景色を見た途端にどっと何かが込み上げてきて、こんな楽しい曲なのに僕はなんだかひどい顔をしていたのでした。
MC①
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まさか雪が降るとはね(笑)
そうだなあ、寒さを一瞬で忘れるくらい頭からテンションが高くて、特に初日の「そ、し、て、初生バンドです!やばいよね、めっちゃあついよね、かっこいいよね!」という言葉が印象的に頭に残っているのです。
04.Regeneration
心地よいキーボードの前奏から始まった『Regeneration』。
AメロBメロで青い照明に包まれた景色は、サビに入ると頭上に掲げられたロゴマークに照明があたり、ステージは日の出を迎えたような景色へと移り変わる。
朝、太陽が昇る前の時間に『Blue hour』という時間がある。
夜の暗闇と朝の光との間、とても濃密に青が広がる時間帯。
『青』について話す。
僕は青色というのは『遠い理想』を表す色だと思う。
空や海、僕らは青に包み込まれるように生きているけれどそれは光の作用でそう見えているだけで、近づけば近づくほどそこにあるのは透明であり、そこに青色はないことがわかる。
薔薇やLED、さまざまな分野の色の発明において、『青』はきまって最後だ。
それは顔料としても同様で、ウルトラマリン・ブルーが人工的な合成法が発明されたのは1827年、ちなみにコバルト・ブルーは1804年のことだった。
このウルトラマリン・ブルーは、従来の蘭銅鉱(アズライト)を原料とする青色顔料の10倍もの値段、ほとんど金と同じ値段で取り扱われており、当時画家と注文主の間では予算として予めその作品に用いる金とウルトラマリン・ブルーの量が決められていたくらいだった。また、その合成法も画家たちから弟子への秘伝ものだったという話すら聞こえる。
またその精製法の困難さや希少さも相まり、『青』は手の届かない「遠い理想の色」と扱われてきた。
『青』という色は地球が誕生して以来最も人間と密接に関わりながらも、人間が再現し、作り出し、使いこなすのは困難で時間がかかった色なのだ。
海や空と、僕らは『青』に囲まれ生きている。
でも、海水を掬ってもそこにあるのは透明で、手を天に伸ばしてもその青には届かない。
日本で、この色に『青』という字があてがわれたのには次のような説がある
【大和語のアオ】
「アフ=会う・合う」、もしくはその連用形「アヒ=間(隣り合う)」の意
【アイヌ語のアオ】
黒と白の範囲の中間色を意味する「間(アヒ)」からきているとされている。
つまり黒と白、隣り合う闇と光の間、それが『青』だ。
暗闇から光の方へ手を伸ばし進むとき、濃密な青が立ち現れる。
そのプロセスこそ、雨宮さんが『青』に込めてきた『意志』だと僕は受け取っている。
その点において、僕は雨宮さんがすごく『青色』を体現していて、世界一青が似合っていると思うのだ。
あの『Blue hour』の時間に歌われていたAメロやBメロ。
抱えた悲しみに心は暗闇に蝕まれて感情や言葉は失われていくんだけれど、それでも、曲の主人公は目を背けずに意志を宿して立ち向かう。
するとサビでは陽が立ち昇って、その光の中での力強い歌唱が、かっこよくて、あたたかく届いて、次第にこちらも熱を帯びていく。
1サビが終わると陽が沈んでまた暗闇に包まれて、また気づかない内に苛まれて、『それでも』と青を宿して、また陽が昇る。そういう営みの繰り返しなんだろうなあ。
Dメロを歌う姿が圧巻で、思えば、自分のこれまでも、日常に抱えた問題に心は暗闇に蝕まれて感情や言葉は失われていくんだけれど雨宮さんの言葉や歩まれてきた道に励まされて力を貸してもらって、意志を携えて少しは進んでこれた気がする。
そんな日々にたくさん情けなさと、でもそれ以上にありったけの感謝を感じながら眺めているとまた一段とラスサビが力強くて。
「もうダメなんじゃないか」って思っていた心を、また動かしてくれた時間だったなあ。
05.irodori
ジャジーなイントロアレンジ、ダンサーを纏いメインステージで歌われた『irodori』。
2Aの"一粒の言葉"の『ば』の抜き方がライブならではで、「込めてきてるなあ」となんだかニヤニヤしちゃうポイントなんだよなあ。
花道で歌われた2サビ終わり。"イヤリング"という歌詞のところでスクリーンに映し出されたイヤリング姿、細かいなあと思ってニヤニヤしていたけれど、お友だちから聞くにMV準拠で手袋もしていたらしい。手袋フェチの名折れである。非常に辛い。映像化が待たれる。
間奏、センターステージへ。
“声優として歌を歌う”ということをとても大事にされていて、ライブに臨むにあたって「私はライブでは曲ごとの世界観を可視化したい」と語られていた雨宮さん。
僕がこのライブでいちばんそれを感じさせられて、考えさせられることが多かったのがこの『irodori』から『Abyss』への流れなんですよね。
僕はこの2曲に関しては同一の世界観で、『irodori』の主人公の物語が『Abyss』でも展開されているように受け取って。
「歌手になりたいという夢を追いかけてきた人が現実に直面し、悲しみを抱えながらも力強く歌い続ける、そんなイメージのMVです。」という『irodori』。
そのMVに関して以前、「赤い衣装の子は“ここは自分のステージではない”と思いながらも気丈に振舞っていて、白い衣装の子はその子の内面なので、どこか弱々しくおびえています。」と仰っていて。
あの間奏部分の、両手を広げて頭からかぶるような印象的な振りは今までのライブだと彼女が怯えながらも赤い衣装を着て(青を宿しながら)力強く歌い続けるシーンとして見ていたけれど、今回は次曲に『Abyss』があったことによって違った物語に見えたのだよなあ。
今回のあの間奏でまるでそれを望むように諸手を挙げて赤を身に纏う彼女。
そうして彼女の内面、白い衣装の子は凍り付いた湖の底に沈んでいく。赤い衣装の子にとってはもう誰だかわからないほどに。
06.Abyss
センターステージにひとり取り残されたのは、湖の奥底に閉じ込められた白い衣装の女の子。
佇まいからもう何かただごとではない様子で、ステージ上の彼女は暗闇を虚ろに彷徨い歩き、俯き、何かの存在と勘違いしてはハッと振り向く。
あの時ステージ上にいたのは白い衣装の女の子なんだけれど、歌唱していたのは赤い衣装の女の子だと思うんだよなあ。
『irodori』を歌っていた赤い衣装の彼女が"あなたは誰?"と、凍り付いた湖の底から悲しげにこっちを見ている自分に気がついたことによって彼女自身の内面に葛藤が再び芽生え、息を吹き返したのが、あのステージ上の白い衣装の女の子。
"笑っていたんだ 痛みを忘れるため
自分を誤魔化せば 強くなれると信じて"
赤い彼女は声を震わせ、弱さを持った自分を嘆くように、自分の悲痛を泣き叫ぶように、苦しそうに歌う。それに比例して、眼前の白い彼女も苦しそうに暗闇で藻掻いて、でもそれは無声慟哭で、誰にも届かなくて。
耳から入ってくる赤い彼女の歌声が自分の暗く空っぽな自分の悲痛を嘆くみたいにこだまして、眼前で苦しそうにしている白い彼女に自分の中で存在を認められたがっている弱さが刺激させられて。
なんかもう、曲中なのに自分のことで泣き崩れたくなっちゃって。
映画を観ていて余程入れ込むとそういうことはあるんだけれど、ライブであんな心情になったの初めてだよ。
とんでもないものをぶつけられていた時間。
どこかで、「声優として歌いたい」という言葉を聴き慣れてしまっていたのかもしれない。
声優として歌うこと、その新たな境地がそこに表現されていたのでした。
もう、ほんとに今思い返しても曲中は苦しくて。
「もうゆるしてくれ」とか「もうたすけてくれ」とか「もうゴールさせてくれ」とか、闇にのまれるというより、自分の心の闇奥底から気丈に抑えていた辛さや苦しさといった弱さが、止め処なく湧いてきては溢れ出てなあ。
2サビ終わりの間奏、センターステージからメインステージを繋ぐ花道を俯いた表情にすべてを隠し拳を握りしめ何をも寄せ付けぬ雰囲気を纏い蹌踉めきながら進む。
たどり着いた花道の端で白い彼女が発した"お願い何処へも行かないで"という烈しい叫びはようやくメインステージにいる彼女に届いて、雨宮さんは振り返って今度は赤い彼女としてその叫びに応えるかのように"ごめんねもう1人にしないから"と、"もう一度抱きしめさせて"と叫び返す。
それは彼女たちの再会のシーン。
弱さを受け止めて歩き出す彼女の再出発のシーン。
ああ、こんな風に生きたいなと思わされた。
聴いてて嗚咽漏れそうなくらい苦しかったけれど、自分の弱さを見捨てずに、弱い自分としてもちゃんと手を伸ばし続けながら生きたいなと思わされた。
壁にぶつかってその場に倒れてしまっても、自らの弱さを受け止めて、その弱さと一緒に「自分にはそこから何ができるだろう」と改善していく、どこかの青い人が歩まれてきた道みたいに。
そうやっていつか、倒れ込みながらも魂の叫びをマイクに乗せていた彼女みたいに。
ああ、本当にすごいステージだったなあ。
『世界が可視化された』というより、『世界に引きずり込まれた』、という方が自分の身に起きたこととしては表現が正しいのだと思う。
この曲は、もう、雨宮さんにしか表現できない楽曲なんだろうな。
圧倒って、ああいう景色を言うのだろう。
映像化されてまた圧倒されるのだろうけれど、あの時間を生で体感できたのは大きな財産になるんじゃないかとすら思う。
本当に、凄かった。
MC②
「今から歌わせていただく曲は、もう気づけば長く歌わせて頂いてきた曲で、こんな景色を見ながら歌える日がくるとは思ってなかったです。その気持ちを噛みしめながら歌わせて頂きます。雨宮天の世界を感じて下さい。聴いて下さい、月灯り。」
07.月灯り
と、歌われだした『月灯り』。
急に終盤の感想になるけれど、Dメロ前の白黒ライティングが綺麗だったなあ。
お久しぶりの『月灯り』でしたね。めっっっっっちゃ嬉しかった。
よく周りの人と「今の月灯りを聴いてみたい」と話していたのだけれど、今回のアレンジは音程も低くなっていて、あの低さ好きだったなあ。
立ち止まりに月を眺め、心の奥底を眺めては時に遠くの大切な誰かを想い、時に自分の歩いてきた痕跡を月灯りに融かし『弱さ』を『強さ』に変えていく意志を再確認する『月灯り』。
これまでの高音での歌唱では曲の主人公が抱えた『弱さ』に対して少し感極まりながら向き合おうとしている印象があったけれど、今回の、5年を経ての『月灯り』はその低音具合から曲の主人公に意志であったり覚悟がより備わっている印象を受けたのでした。
それと同時に、あんなMCをされた後だったもんだから5年前の、初々しさと優しさに包まれた『月灯り』のリリースイベントを思い出しながら聴いていて。
あのリリースイベントで「この娘頑張ってるんだなと思われるように、頑張りたいと思います。不安も大きかったですが、終わって見ると今日はとても楽しかったです。」と仰っていたけれど、今回のライブでの低く意志の増した歌声に、あの日から雨宮さんが「私は私のままでいながら、ネガティブがくれた短所の自覚を味方に、ちゃんと変わっていけるように頑張ります。」(2014年大晦日)と積み重ね僕らに見せてきてくれた日々が心の一等地で照らし出されるたびに、喉奥の痛さに泣けてきてなあ。
自分のことで泣くってのは悔しいし情けなくて心に宿した灯が何度も消えそうになるからもう味わいたくないんだけれど、(それでも、あなたにはそんな自分も大切にしてあげてほしいんだよな)あなたが流させてくれる涙は心にまた熱をくれて。
またそれも情けないんだけれどさ、それでも、んー、感謝してばかりじゃダメだな。
がんばらにゃね。
08.誓い
誓いの入りの無音部分、自分の心音が落ち着いていくのがわかるあの一瞬が心地いいのだよなあ。
背中から差し込む月灯りに向き直り歌い出された『誓い』。
1番はピアノアレンジで、暗闇にいる自分に向けそっと差し込まれた光のような優しさ。
そして1サビのアウトロからバンドサウンドと共にバッと照明が明るくなり、慈愛に充ちた歌声とともに優しい光に包み込まれる。
ずるいんだよなあ、まさにああいう転調あるアレンジ演出が大好きで。
逸れた話をすると、昔あるアーティストのライブに行ったときに開幕1曲目でロックサウンドの曲をピアノと共にしっとり1サビ終わりまで歌い上げ、ロングトーンの余韻に浸り始めた途端にガッツーンと2Aから元のロックサウンドが入ってきたアレンジに遭遇したことがあって、あれがめちゃくちゃかっこよかったんだよなあ。『一番星』とか『チョ・イ・ス』であんなアレンジされたら最高に昂ってしまうと思う。
その『一番星』について「仮に、今後この曲をライブでたくさん歌って明るい曲として浸透したあと、例えばバラードバージョンにして披露する機会があったときに「ああ、この歌詞って、実は……」みたいにじんわり響いたら素敵だなって。」とインタビューで仰っていたほどライブでの届け方にも意識を向けてくださっている雨宮さんだから、『誓い』も含めて今後どんな風にアレンジが加わって届けられてくるのか楽しみなのでございます。
いや、本当に、あの優しく包まれたような明転にもう全部救われたような気持ちになっておじさん危うく無邪気に泣きそうになってしまってなあ。
"果てなく続てく この旅の途中で
不安な夜 伝う涙も
頬に手を当て あなたの勇気で
心を灯すの"
なんて、そんな折りに目の前をセンターステージへ歩き出すもんだから、もう。
ライブでこの曲を聴くと、雨宮さんに対して頂く感情と歌詞がリンクして、もう僕は立っていられなくなるんだよな。
冷たく閉ざされかけていた心もあなたの勇気でゆっくり溶けて。
"その手に導かれて生きる奇跡
心に刻んでゆく"
ああ、もう、「ありがとう」しか僕の胸にはなくて。
大好きだなあ。
09.メリーゴーランド
『VIPER』後のMCで「ちょっと妖しげな語りからはじまりVIPERまで今までに無い独特な世界観をお届けしました。このライブでもしっかり声優っぽいことをしたいと思っていたので、その結果メリーゴーランドに繋がる妖しげな朗読をしようと。自分で文も考えて、読むときここ貯めようとか考えていました。なので、「え、こわい。なにがはじまるんだ?」って思ってもらえたら嬉しいです。(中略) 私のライブでは曲の世界を可視化した世界でお届けしたいと思っているので、そうなりました。」と仰っていたように、声優らしさを詰め込みライブ全体の中でも異彩を放っていた『メリーゴーランド』から『VIPER』までのパート。
朗読のBGMはショパンの『ノクターン 第20番 嬰ハ短調 《遺作》』、だったはず。
なんだろうな、闇に落ちていくようで、こういう系統の哀愁あるクラシック曲好きなんだよな。
(この曲が用いられた『戦場のピアニスト』とても好き)
このパートの解釈ってとても難しいですよね。
タイプライター音も鳴っていたから、僕は『メリーゴーランド』の主人公が闇落ちしてVIPERになっていくまでの物語、みたいに受け取ったんですけれど、過程は闇落ちだとして結びの『VIPER』の解釈がどうも、落としどころが見いだせていないのですけれどね。
「この部屋に私を閉じ込めたのは誰であったか。」
「嗚咽しているのは誰、笑っているのは誰。」
という、あの導入の語り。
その解は彼女自身であって、語りの節々に出てきた彼女に噛みつくような痛みを与え、彼女の意識を淀ませ柔らかく溶かし、いっそ「身を委ねてしまいたい」とまで感じさせたのは、『諦念』なんじゃないかなあ。
「メリーゴーランドはとまらない。狂った歯車をまわして、誰も知らないその結末を迎えるまで」という語りを受け階段上に浮かび上がる、目隠しと手を拘束されたまま椅子に座らされた女の子。
(さすがに目隠しと手の拘束は度肝を抜かれたなあ、寝っこ輪舞を越える衝撃だった)
んー、あの導入を戯曲化したものがこれからの三曲だったんじゃないかにゃあと思っていて、語りの冒頭に「ここは何処だろう、どれだけ時間が経ったのだろう」とあったように、腰掛け歌唱されている様子はどこか怯えているようにも見えて。
いつか記事でも語られていた通り、諦念と抵抗という相反する二つの表現がテーマだというこの曲。椅子の周りで体をねっとり這うような動きをされていたダンサーさんが『諦念』で、サビになると階下のメインステージで激しく踊られていたダンサーさんを『抵抗』の可視化として見ていたのでした。
なんか、こう、そうなんだよなあ。
諦念に呑み込まれていく苦しさと同時に包み込んでくる身を委ねてしまいたくなるほどの甘ったるく心地の良い微睡み。
「抵抗しろよ」という自分の声はおろか大切な人たちの声まで贄にできないほどの淀み。
諦めと悲しみが交互に訪れる、潮騒が肋骨にしぶいて軋む。どんなに抵抗しても消えてくれない感情があって、おまえの息つぎは下手だねと、誰でもない影が音のない声で話す。夜空は透きとおって広がるのに、肺は溺れていて、星ひとつ呼吸できそうにないような。
抜け出せないんだよな。
どこまでも雑音に心を晒して生きていくしかない人間の頭の中は、何かを考えようとしても、何かになろうとしても、それとは別の思考がどんどん飛び出て邪魔をする。邪魔をするし影響しあって、どんどんごちゃごちゃしていく。そこで生まれた諦念にも抵抗にも似た言葉はどちらが雑音なのかもすらわからなくなって、スピードを伴ってあっちこっち行き交う。その羽音はまさにあの、心地良く僕を痛めつけてくるあの拍子なのだよなあ。
んー、
「悪にも祝福のキスを」という歌詞が歌唱も相まってすごく好きで。
前節サビの「気まぐれな悪戯と共に私は踊ります」、そのダンス相手は諦めを誘う踊りを踊っていて(ドラクエではない)。
だからあの節自体が主人公の諦念思考を表したパートだとしたら、「決して意志の無い人形なんかじゃない」というこのラスサビのパートは彼女の最後の抵抗。
歌声も一際感情が乗るラスサビだけれどそこで歌われるのは抵抗だけではなくて。ボリュームの大きい『抵抗』が打ち消そうとしているのは、どうやっても脳裏に付き纏うボリュームの大きな『諦念』。あの一際感情が乗り心に訴えかけてくるものはその葛藤の発露なんだろう。
普段何気なくこの曲を聴くとき、最後この曲の主人公がカボチャの馬車と白馬のどちらかに跨がったかはその時の聴き手である僕らの心情に委ねられるところとして結末は誰も知らないのであると思うのだけれど、あの朗読から『羽根輪舞』『VIPER』へと続いていくこのパートにおいては勝ったのは『諦念』なんだと思うのだ。
なんだろうな、
僕はこの曲についてはその逆、彼女は「それでも」と藻掻いていく人物だろうと思っていたし、本当は自分自身もそうでありたかったから、いつもこの曲を聴くときは立ち上がる彼女を思い描いていたのだ。
立ち上がってほしかった、というか、励みに立ち上がりたかったのかな。
諦観に対する諦観を諦めたくないというか、その影と歩幅を合わせて体が今一人立つ舞台が雨でも抵抗していきたい、というか。
それでも、僕は諦めてしまいそうにもなるその姿も美しいと思っていて。
自分のそれへはまた違う感情になるのだけれど、他人のそれはちゃんとその人にとって認められるものであってほしいのだよな。
ごちゃごちゃした雑音だって「私」を作っていて、辛かった日々でさえも、「本当だった」という重みに耐えられない。
夢のような日々がほのめかす迂回によって、《この辛い日々は嘘だったかもしれない》と諦めそうになるけれど、それも真実で在ってほしくて。
厚い雲が出ているからダメだとか、快晴ではないからダメだとかじゃなくて、いつだってそれは認められてほしい。
んー、
この曲が好きなところとして、曲調は全体的にずっと暗い感じで、サビもそこまで明るくはないけれど、どこか華やかで。
諦めたくなった日々も、僕は全体的に暗いのかもしれないけれど、ちょっとした優しさや時々ヤケクソに装飾されて、どこか華やかでおしゃれだと思うのだ。
だからこの諦観も抵抗もごちゃ混ぜにして、歩いていくのかなあ。
なんて、さっきまで諦めてしまいそうになっていたけれど、そういう風に早くまた歩き出さないとなあって。
なんの話だっけか。
そう、普段はそういう風に聴いているのだけれどこの曲の前にあのような朗読が入ったり続いていく曲達のお陰や手足拘束&目隠しといった演出によって、またこの曲の新たな受け取り方ができたのだ。
10.羽根輪舞
脚を組み歌唱される。美脚。びきゃー。
Various SKYでの『羽根輪舞』は黒い傘を持ったダンサーさん達と共につゆ先にぐるりと真っ白な羽根をあしらった傘をさして登場されたけれど、訳あって故郷を追われ流れ着いた土地で優雅に寂しく思いを馳せ歌っている様なイメージ。
Aggressive SKYではソファー端に寝転ぶ様に脚を乗せ座っているあの伝説的な"ねっころんど"、リッチというか富や名声にお金、割となんでも手に入れた人が世の無常、儚さを皮肉気味に憂い歌っているようなイメージ。
The Only SKYは...あの羽根輪舞が一番僕はドラマ性として好きなんだけれど、前曲が『Shu!Bi!Du!Ba!』だったこともあって『夢見た東京』から一気に現実の東京に引き戻されたって感じのイメージ。雑踏、さっきまで踊ってた人たちは空想、夢物語で。道行く男女、紡がれる行きすがりの恋、成就しなかったり、腕を組んで歩いていたり、それは本当に「行きすがり」であって雑踏、「東京」はそんな場所なんだろう、そのときそのときで、踊る人は人それぞれで、 そんな影が、ドアに身を預ける姿をいろんな影がなぞり抜けていく。そんな叙情詩。
そんな風に『羽根輪舞』は公演によって、前後の曲によって、演出によって、本当に届けられる曲の世界観が変わってくる曲で。
最初アルバムを聴いたときはVarious SKYでの世界観みたいなイメージで凝り固まってしまったのだけれど、本当に機会が改まるたびに違った世界観を届けてくれて、雨宮さんのライブは面白いんだよなあ。
今回は流れもあって、「闇落ちしちゃったなあ」というイメージで。
諦念に飲み込まれて、どんどん闇に呑まれていく過程。
間奏で青い小瓶が手渡されていたけれど、毒薬かな。あれはまさに毒を受け入れるシーンで。
布をたなびかせ離れていくダンサー。
なんだろうな、
あれは暗闇の中を何処が目的地かもわかわず、力なく飛んでいく内に抜け落ちていく抵抗の意志なのかなあと思いながらぼんやりと綺麗だなあと見ていたんだけれども。
んー、綺麗だったなあ。
11.VIPER
階段を降りてメインステージで歌われた『VIPER』。
美脚よ。
Bメロの、あそこのいろいろごちゃごちゃした問題を「問題外」に詰め込む、あそこすごく好きなんですよね。抱えている問題全て強めの毒に溶かされていくみたいで、ライブで聴いているとなんか気持ちのいいところなんだけれど、なんなのだろうね。
「もっと綺麗にバタついて」の色っぺぇことなあ。
今回初めてダンサーさんがついたけれど、ダンサーさんの振り好きなんだよなあ。
いやー、あんなに特徴的な振りがつくとは。特に「唇の裏(何よりも・微笑みの裏)」での片手を地につける振りがなんだか妖しい雰囲気を増長させてるなあって。
今回のライブだからこその要素として、間奏のギターソロねえ。
なんだかVIPERの悪女感をぐぐっと掻き立てていたなあ。
朗読のタイピング音からはじまったこのパート、『メリーゴーランド』の主人公が闇落ちしてVIPERになっていくまでの物語のように感じていたのでした。
その割に、エンディングの解釈、諦念に呑み込まれた彼女が最終的にどうなったのかの解釈が難しくてうまく言語化できないし、それを考察するのはなにか野暮にも感じられるのだけれど、映像としては『VIPER』MVの銃口を向けられるエンディングがイメージ通りかな。
なんだろうな、曲終わり「これはどう解釈すればいいんだ?」って思いながらアウトロの巻き戻しに身体を預けていたけれど、ふと浮かんだのは『VIPER』のMVのラスト、あの凜々しいライダースーツの女スパイに銃口を向けられるタイピストの彼女で。
最後に、撃たれて終わりを迎えてほしいなって思ったんだよなあ。
この子は最後に、撃たれることで救われてほしいって。
願望かな。
そうそう、あの『VIPER』のアウトロから『羽根輪舞』、『メリーゴーランド』を彷彿させるメロディーに巻き戻っていく、海外ドラマのエンディングみたいなアレンジ、最高でしたね。痺れましたね。
それに合わせてのダンサーさんの舞いも優雅で。いやー、この融合が凄くて、今回のライブならではの新たな”雨宮天ライブ”の広がりを感じたのでした。
もちろん雨宮さんのことだから、凄いモノを今回のライブでも届けてくれるんだろうなと演出面でも期待していたんですけれど、ここまで楽しませてくれるなんて。
なんだろうな、本当に、ああ、これはまだ早いな。
こんな受け取り方をしたけれど、このパートについてご本人の解釈を聴いてみたいんだよなあ。オーディオコメンタリーとかつけてくれないかしら。
MC.③
----------------
前述の通り、「このライブでもしっかり声優っぽいことをしたいと思っていた」と、曲の世界を可視化した世界で届けたいと語られた雨宮さん。その聴き慣れた言葉に「やってくれたなあ」と苦笑いしつつ、スゲえなあって、嬉しかったんだよなあ。
「声優としての特権」としてその曲の主人公の気持ちを歌いたいと意志を貫かれてきたこの5年間、きっとずっとそこを目指して足掻きながら努力されてきて、その発露をこうして受け取らせてもらってきて。
幸せだったなあ。
好きなんだよなあ、そんな雨宮さんが。
12.火花
「これは幕張でフルを披露せねばならないと幕張のために完成させてきたんですよ。フルは今日初めて披露させて頂くので、あたたかい目で見守って頂けると嬉しいです。」(初日)
と、披露された『火花』。
リサイタルで初披露された時からは「なにか事件があったようなコード」を得てメロディーは編み直されていたわけで、初めてフルで初日と2日目と合わせて2回しか聴いていないのに不思議に口ずさめるのだよなあ。
「『火花』の歌詞は、私にとってはちゃめちゃに楽しかったとある夏の思い出がベースになっているんです。」とナタリーの記事(文章末に出典)で語られていたけれど、口ずさんでいると不思議にこの5年雨宮さんや大好きな人たちと過ごしてきたはちゃめちゃに楽しい思い出が脳裏にどんどん浮かんできて、早朝帰りの飛行機で眩しい朝陽のなか嗚咽を漏らすまいと必死でねえ。割と今もなんだけれど。
なんだろうな、あの世界観。
戻れぬセピア色の思い出って感じで、いやセピア色ってどんな色かよくわかってないけれど。
そうだなあ、戻れない、淡い、でも色濃い思い出。
結局今のいままでリサイタルの感想を書き終えれないでいるのだけれど、雨宮さんの好きな70~80年代歌謡曲が多く歌われてきたリサイタル、あの日だからこそ聴ける、何かこう、俯き微笑みながらしっとり紡がれる雨宮さんの低音が僕は好きで、例えばCARPENTERSの『YESTERDAY ONCE MORE』でのあの優しい歌声なんだけれど、そのエッセンスを感じさせる曲だなあと思えていて。
わかりづらいな、こう、楽しかった日々をふと思い返すと目がとろんって微睡んで不意に俯きがちに自虐的に微笑んじゃう感じの歌唱であったりメロディーが性癖としてあって、これからもなんだかfavoriteな口ずさみ曲になりそう。
同じ記事内で「自分の好きなように曲を作れるというのはすごく楽しいし、さっきお話しした橘さんとのやりとりも含めて、作っているうちにどんどん“好き”の度合いが増していくんです。」とも語られていたけれど、気が向いたときに作ってくれる自作曲をもっと聴きたいなあ。
んー、でも、僕は雨宮さんが周りの心強く魅力的なパーティーメンバーの人たちと楽しく作ったいろんな楽曲を受け取るのも好きなのだよなあ。
届けてくれるならなんでも好き。
『好きの度合いが増していく』というのは雨宮さんが『こだわり』を大事にしてきた姿勢と同義なんだろうなと思っていて。
やっぱり何かこだわりを持って生きてたり、1つ1つの仕事をこなす人ってすごくかっこよくて、あまりそこに依存しちゃいけないけれど感じたことの事実として、『こちら』を受け止めてくれる存在として認めてどんどんこだわったものを届けてくれるようになったことが嬉しくて。
これからも、これはもうずっと変わらないんだけれど、好きなことを好きなようにしていってほしいな。
MC.④
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安堵したような笑顔が尊くてなあ。
「今度はみなさんの声を聴かせて下さい。【】喉の調子はどうですか?いい感じ?ここんとこ寒かったからさ、「風邪ひくなよ」とか「ミカン食べろよ」とか言ってきたけれど、風邪予防はしっかりしてさ。せっかく声優さんを応援してるならみんなの声も【綺麗な方がいいでしょ】(笑)声を届けてくれますか?!(2日目)」
と仰っていたけれど、リリイベ終わりとかによくやってくれる、雨宮さんのこちらへのこういうアプローチ好きなんですよね。
おわかれ、というより、次会うときの約束みたいで。
13.RAINBOW
「今度はみなさんの声を私に届けてください!」と歌われた『RAINBOW』。
ダンサーさんを纏いメインステージの上手、下手へ、優しい笑顔を届ける雨宮さん。
優しくてなあ。
あの瞬間、行き場をなくしていた感情がどっと溢れてきてなあ。
それは情けなくて自分にも認められず行き流れる先を失った苦しい自責の念であったり、はたまた虚無に押しつぶされそうな心であったり。
そんな気持ちがあの歌声に手を引っ張られるかのように連れ出されて、目の前の暖かさに解けていく。
なんだろうな、あなたにとっての誰かであるように、「その思想はいけない」と思っていても僕にとっては雨宮さんって聖母マリア様的なポジションにまで来てしまっていて、包み込まれるともうダメなんだよな。
センターステージで青色に囲まれる雨宮さん。
「時を超えて 吹き抜けてく」の合唱での掛け合い、時を超えて走馬灯のように眼前を吹き抜けていく思い出たち。
時を超えてきた青色に囲まれたあの時間、手を振り合っていなかったら、危うく泣き崩れるところだった。
14.Lilas
もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先ほどの『メリーゴーランド』の冒頭朗読よろしく、その暖かさにずっと身を委ねてしまいたくなった。
Lilas、アレンジの段階ではクラップの音とか色々入ってたんですが、ライブ会場でファンの皆さんに入れていただくのが一番だと思って全部消したんです。
— 塩野 海 (@shio_apf) August 19, 2018
皆様の感想が目に沁みます。
本当にありがとうございます。
拳を突き上げての「Ha~♪」のパート。それまで歌詞で紡がれてきたものが極まって容易に言葉にならない思いの迸りとして感嘆詞になるところが凄く好きで。
ライブとか、リリースイベントとか、こういう日の帰りっていつもの帰り道が違う輝きを帯びて見えて。そんな理想に燃え輝く星空の方へ「あれ欲し」って歩いて帰るのだけれど、日常が戻るに連れていつもの風景/長年住み慣れたどこまでもけだるく平穏な景色になってきて。
そんな景色に「はぁ…」という呼吸を漏らすのが日常になっていて。
そんな「はぁ…」があの空間を媒体に、最大級の肯定に似た感覚として「Ha~♪」と感嘆詞になる、そんな曲の終盤。
下を向いて漏らした「はぁ…」は、前に差し出されたマイクへ「Ha~♪」と素敵なメロディーになって、同じ周波数のもとに集った人達の声と合わさって、ひとつひとつは強度は不足するけれどそれが合わさって合板のように強固で美しいものとなって、そして最後「Uh Yeah」と最高の昂りとなって、昇ってゆく。
これまでのライブでの『Lilas』では、雨宮さんがその空間を作ってくれることで僕らのそんな日常を「Uh Yeah」という彩りあるものに変えてくれるなあという感謝に近い感動があったのだけれど、その日せり上がってきたのは、「がんばらないと」っていう気持ちで。
文字にしちゃうとなんだか薄っぺらいものになってしまうけれど、こう、ちゃんと自分でがんばらないとなあ、って。
Lilasの詞のテーマは「⇄」です。
— 塩野 海 (@shio_apf) July 11, 2018
「⇄」
それはあの空間を支配していたモノで。
猫と小学生しか知らないような二度と思い出せないような道のように、存在は思い出せはするけれどうまく再び辿れないような、そんな幸せで掛け替えのない時間。
『毎日頑張りすぎている 君の背中に 「おかえりなさい」と言う場所がここにはあるでしょ?」のように投げかけられているような歌詞の1つ1つのフレーズは、全部そのまま贈り物として返したいフレーズで。自分を信じてもらいたい時、人の横にいれるのは人ではなく言葉だから。
そんなやり取りとしての、 「⇄」
だから、諦めずに、見捨てずに、ちゃんとがんばらないとなあ、って。
センターステージで、拳を付き合わせる。
本当に、いい曲だよなあ。
エール交換というより、なんだかもう好きな人たちとの飲み会みたいな曲だよなあ(笑)
ああ、そうなると付き合わせているのは酒なのかもしれない。
次は、ちゃんと美酒で乾杯できるように、がんばらないとな。
MC⑤
15.PARADOX
「私のポップ&キュートを受け取った全員を「かわいい」って言わせてやるんだからね!ははっ(笑)」
かわいい、を通り越して、もう、絶句してしまいましたよ。
うぐうう。
センターステージで、楽しそうに。
「好きの右肩の/グラフの右肩」での膝、腿、肩、頭に順に手を当て「ダッシュが邪魔ね・・・/上がり続けて・・・」の右肩あがりに両腕で直線グラフを作ったりちょんちょんってやる振り、楽しくてすーーーぐ真似しちゃったよね。特にサビ終わりはそこでギッコンとシーソーしたり、歌詞と相まって遊びが多く散りばめられていて、これからどんどんこの曲で一緒に遊んでいくのが楽しみだなあ。
10枚目がまさか「これまでの雨宮天楽曲にないポップでキャッチーな表現」の曲になるとは思わなんだ。
でも挑戦の詰まった曲だろうし、らしさ全開でもあるよね。
歌唱後に届けられた「ありがとうございます!これからもいろんな雨宮天を受け取ってください!」という叫び。
その、「いろんな」という言葉を用いてくれたことが何だか嬉しくてたまらなかったのでした。
16.Velvet Rays
MC05~『PARADOX』は「これまで」を強く、そしてあたたかく想起させるような時間だったけれど、この『Velvet Rays』を全身に浴びながら感じていたのは「ここから」、なのでした。再出発感、といいますか。
振り返れば一人 追いかけてた願い
自由手にした白い鳥は
雨雲より高く 遠い空を目指す
愛しさを抱きしめて 静かに手を振った
という2Aの歌詞が好きで。なんだろうな、印象が少し昔と今じゃ変わっている部分なのです。
2015年に3rdシングルとしてリリースされた当初はその情景に孤独さを見いだして哀愁を感じていたのです。
ジャケットが想起させるように鳥籠から飛び出した白い鳥は、自由になったけれど孤独で、そして孤独のままに、また誰もいない高く遠い空を目指していく。
「愛しさを抱きしめて 静かに手を振った」の部分は、それでも理想へ向かうために、冷徹に別れを告げ孤独に飛んでいく、そんな描写に感じられて。
そういう姿を見送る側、見送ることしかできないっていうのは無力で。
曲の主人公とは別に、雨宮さんの旅路がそんな孤独なモノじゃなければいいなあとどこかで想っていたのです。
でも、なんだか今はすごく綺麗な景色に見えるのだよなあ。
自由っていうのは孤独の対価としてのメタファーではなくて、もっとこう、「自信」とか「仲間」とか自由だからこそ得られるもののメタファーなんじゃないかな。
白い鳥はそうして得られたものを羽ばたくエネルギーにして高く、遠い空を目指していく。
頑張らないといけないときにエネルギーとして力になりたい、っていうのは応援している身としては本望ではあるけれど、結局頑張るという主体はそのひと一人な訳だし「願い」や「理想」は人それぞれだからいつだって追いかける、追い求めるのは”一人”で。
「ここから先に続いていくという実感はわいてこないんです。」と一人進みはじめた、雨宮さんのソロアーティスト活動。
旅路の中でいろんなことに挑戦して、出来ることを増やして、素敵な協力者と出会い、そして仲間を増やして、またいろんなことに挑戦して、出来ることを増やしてきた雨宮さん。
自由っていうのはきっといろんなことが出来るということで、そうして手に入れた"自由"な空で「味方でいてくれるから前に進んでいけます」と、停留することなく、手を伸ばし続けてこられたように感じる雨宮さんの「ここまで」の道のり。
だから、これまでの旅路がそうであったように、きっと静かに手を振って別れても雨宮さんは一人でも雨雲より高くて、遠い空を目指し強く進んでいくのだろうと。
そんな、今までにな心強い力強さを感じた『Velvet Rays』だったなあ。
白鳥は かなしからずや 空の青海の あをにも染まずただよふ
(若山牧水)
(生バンドバージョンすごくかっこよかったなあ。
いつか、弦楽器も加わったバージョンでも聴いてみたい。)
17.Marvelous scene (1/18公演)
あの日の僕には、「あの日誓った言葉は 裏切りはしないから 信じて」という歌詞が眩しく差し込んだのだよなあ。
うん、そうだよなあ。
だから信じたいし、いつか信じてもらえる言葉を自分に刻んでいきたいなあ。
17.Silent Sword (1/19公演)
生バンドの『Silent Sword』気持ちよかったなあ。
その生バンドでよりかっこよさが増していたイントロ、静止していたダンサーが歌詞が始まるとドクドク動き出す。「生命の脈動」という歌詞があるけれど、この曲を聴いていると止まっていた何かが動き出す「再動感」がありますよね。
かっこよさのある曲というより、強さのある曲だなあと思えていて。
誰にも理解されなくとも貫きたい自分の在り方、であったり、「それでも」と立ち上がれる強さ。
憧れるんだよな、本当に。
18.Breaking the dark
僕はすごくネガティブで、だから普段聴く楽曲は無理矢理気持ちを引っ張り上げてくれる「THE ROCK」みたいな楽曲というより、たとえばMISIAの『飛び方を忘れた小さな鳥』みたいに優しく肯定してくれるような曲が好きなのです。
でも、僕、雨宮天さんのかっくいいロック調の曲ってすごく好きなんですよ。
その主因は雨宮天という人が、時に作詞家さんに意見を伝えながら生み出す楽曲それぞれの曲の主人公は、例えばこの楽曲であったなら、たしかに「冷たい暗闇にのまれても 消されることはない この胸にある炎は」みたいに強さを持っているんだけれど、その前段階として「弱さ」を抱えている、ということ。
「臆病な私の心は 非常な世に背を向き」
「荒れ果てた私の心に 安らぎはないけれど」
雨宮さんの楽曲を以前麻倉ももさんが「いつも絶望の淵で闇を切り裂いてる」(出典:麻倉もも "恋の歌"を歌い続ける理由)とお話されていたけれど、その”絶望の淵で"というのが味噌で。
かっこいいどの曲も、主人公たちは絶望の淵に立っていて、そして抱えていた「弱さ」を、捨てるのではなく、自分を突き動かす意志に変えて反抗しようとしている。
なんだろうな、こう、「ぶったぎってやるぜ!!」みたいな強さのかっこよさ、じゃなくて、「強く在りたい」と涙を眼に貯めキッと前を向くみたいなかっこよさ。
『Skyreach』にはじまり、『Defiance』の本当は闘いを好まないけれど闘わなくてはならなくなった主人公が紡ぐ言葉とか、どの楽曲の主人公も弱さを抱えていて、そして「それでも」と立ち上がっていく。
届けられた「弱さ」が心に宿していた言葉にならない気持ちに寄り添い、そして立ち上がろうという主人公たちの強い意志が、荒れ果てた自分の心に「それでも」と自分でおまじないみたいに唱えさせるように、引っ張り上げてくれる。
雨宮さんが2014年の大晦日のブログで「私は私のままでいながら、ネガティブがくれた短所の自覚を味方に、ちゃんと変わっていけるように頑張ります。」とお話されていたように、そうやって進まれてきた雨宮さんの姿勢、意志の持ち方が楽曲をよりストーリーのあるものとしてこちらに届けてくれるんだと思う。
18.Trust Your Mind
『Silent Sword』からの『Trust Your Mind』の繋ぎ、気持ちよかったなあ。歌詞のメッセージ的にも、なんだかこの繋ぎが好きで。
『Trust My Mind』じゃなくて、『Trust Your Mind』なところが好きなところで。
なんだか雨宮さんの楽曲というと世界観的に前者っぽいタイトルのイメージがあるのですよ。
ここが"You"になっているからこそ、「駆け出そう 本当の居場所はここじゃない」という歌詞がより手を差し伸べられているみたいにこちらへ向かってくる感じがする。
と、それは曲の主人公が別の誰かに「自分の信じたいものを信じて」と微笑みかけている場合での聴き方で、ライブだとそういうものとして受け取って勝手に元気になるのだけれど。
この"you"が別の誰かではなく、もうひとりの自分=日常に溶け馴染み消えかけている本当の自分、という捉え方もありますよね。
『Abyss』の暗い谷底にいる"君"も自分自身でそこに叫ぶように歌われていたように、この『Trust Your Mind』も自分を殺してまで違う場所に居る自分へ向けて歌われた曲のようにも感じていて。
ストレートに『Trust My Mind』というより『Trust Your Mind』だからこそ、"自分"に響いてくるのじゃないかなと思う。
歌詞の強さの割に、歌声が叫びというよりしっとり艶やかに歌われているのは、なんだかその主人公の歌いかけたい相手へのスタンスのような感覚が反映されているみたいなイメージがあって、好きなのだよな。大切な仲間へ、自分への励まし、みたいなスタンスなのかな。
なんだろうな、今回のライブは自分が在りたい在り方で自分が居たいと思うあの場所にいることができなくて、その点情けなくて落ち込んでいたのだけれど、あの「駆け出そう 本当の居場所はここじゃない」という歌詞が自分の好きな人からの、また自分の言葉として響いてきて、今自分が身を置いた環境はやっぱり自分が居たい場所じゃなくて、やっぱりこの場所だなって、がんばらなきゃなって、大好きな2サビ終わりの「エナジ~♪」の小指からの握りを真似していたのでした。
19.VESTIGE
「まだまだこんなもんじゃないでしょ!!」と巻き上げるように歌いだされた『VESTAGE』。
「混じり気のない存在の証明を 今此処で旗印に」、ひゃー、かっこいい。
もー、全般的に歌詞がかっくいい曲ですよなあ。
少し、変な話をする。
僕の瞳には、世界は「認められた人」だけで構成されているように映っていた時期があって。
世界は特別な人で溢れていて、自分なんていなくても大丈夫な世界。でも、僕は生きてかなくちゃいけないのです。だから、どうしても、僕は僕を特別と思っていなくてはいけなくて、でも同時に「僕はいつまで無根拠に、自分のことを守れるだろう」と不安で、泣きたかった時期。
この世界に紛れてしまって、いつか自分も自分を見つけられなくなるんじゃないだろうか、なんて気持ちに呑み込まれそうだった時期。
道を切り開きながら進んでいる雨宮さんと出会って、僕はその周期的にやってくるそいつとの付き合い方を少し自分なりに見つけられた感じがあって。
自分で自分を特別だと信じている、だけじゃダメで、きっと証明していかなくちゃいけないのだろう。このままならきっと、溶けていくしかない。消えて、馴染んでいくしかない。
証明の方法はまだまだわからないけれど、それでも、手探りに、自分の心にある金ピカを信じて、叫んでいくしかないのかな。溶けて、消え馴染んでいくことに抗って。
なーんて。
(「生きてるだけの永遠を捨てて」)「そっち側に行くんだ」という歌詞が初めて聴いたとき、暗い井戸底に梯子がおろされてきたように感じられて。
そうだよなあ。そっち側へ、手を伸ばしつづけなきゃなあ。ライブではもう泣けてきてなあ。
ああ、この人が僕に、心臓のサイレンを置き去るほどのスピードをいつも与えてくれるんだ。
そんでもって、Dメロの「自分の答えはいつだって 自分の中にあるから」からのラスサビ。
ここの、歌詞には載っていないけれど、「自分の中にあるから Ah...心臓のサイレン~」の部分がめちゃくちゃ気持ちいいですよね。
こう、自分の琴線として、上げて落とされる部分の振幅が大きいほどグッとくるところがありまして。「Ah~↑↑...しん、ぞう↓↓」みたいに、この沈み幅を持たせてくれる歌唱フェチなのですよ。ぐぐっと歌詞に溺れることができて。ライブで聴けるのを1番楽しみにしていたところで、気持ちよかったなあ。
つい、ああいう部分身体がガクンと動いちゃうからライブ後しばらく首が痛かったです。
最後の決めポーズ、ああ、かっこよかったなあ。
MC⑥
■VESTAGE後
はあー、ありがとうございます、めちゃくちゃみなさんのエネルギー届いてます!みんなの力をもらって、ぶつけてきてもらって、ここまでくることができました、ありがとうございます!絶対にみんなとまた会えると思うので、まだまだ【】。いっつもパワーをくれてありがとう。最高の仲間に届けます。
(初日)
■
ありがとうございます!みんなの声ばしばし感じてます!みんなのパワーをもらってここまでくることができました!でも、きっとまた会えますよね。みんなとならどんな壁も越えらえれると思ってます!次で最後の曲になります。これからもみんなが背中を押し続けてくれる限り、絶対にこれからも進み続けていくという決意を込めて歌います。いっつもパワーを届けてくれてありがとう、最高の仲間に届けます。
(2日目)
20.Skyreach
あの青いマイクスタンドを取り出してきた瞬間に、もう波に呑まれて、とどめきれなくて。
激しくて大きい波だったんだけれど、どこか心地良くてあたたかくて。
この日初の青い衣装であるジャケットを羽織る姿。
マイクスタンドを後ろに傾けたりしながらかっこよく歌う姿。
『Skyreach』からはじまったアーティスト活動。
脳裏に消え焦ることなく焼き付いたあの日の歌唱姿とはどこかギャップがあって、泣けてきたのでした。
かっこよくてなあ。
「最高の仲間に届けます。」と歌いはじめてくれたことが、ずっと言葉にしなかった気持ちを救ってくれたのでした。
この曲からはじまった、青。
青に込めてきた、意志。
「これから」の意志を、こうして届けてくれたことが幸せで。
『Skyreach』って雨宮さんが自分の理想へ意志を届かせようとする曲と受け取っていたしそこに夢を見ていたから、こんな風な意味合いで自分に届いてくる日が来るとは思わなんだ。
幕張メッセでの『Skyreach』、すごく楽しみにしていた光景で。
雨宮さんは「これから先続いていくイメージがまだない」みたいなことを当時話されていたけれど、あの『Skyreach』のプレリリースイベント帰りに、そう、あの豪雨の中ね(笑)
「この先、どこまでいかれるのかな」とぽやーっと考えたとき、頭に浮かんだのは実は幕張メッセでいっぱいの青の中でマイクスタンドを握りしめている姿で。
(その年の2月にアイドルマスターのライブステージで、埼玉スーパーアリーナでパフォーマンスされている姿が色濃く絶景として焼き付いていたから、自然とあの規模が頭に浮かんだのかな、と思う)
押しつけちゃいけないし、ずっと引き出し3番目にしまっていた景色だったんですけれど。
嬉しかったなあ。
そんなステージで、仲間と言ってくれたこと。
ありがとう
【En.1】GLORIA
客席にぐるりと囲まれたセンターステージで歌いだす雨宮さん。
込み上げてくるものを叫ぶような、烈しい歌唱。
僕らが慮り尽くせない、彼女が抱えてるもの、感じてきたこと、観てきた景色がスプリングボードとなりあの発露につながっていたと思うのです。
その発露の聴き手で在れる幸せ、昂ぶる感情を歌声にしていく彼女を、ぐるりと会場が固唾をのんで寄り添うように見守っていたあの時間は、なんて優しい時間が過ぎていたんだろう。
サビ前の空白、嗚咽をもらさないように僕は必死だったんですけれど。
僕はあなたが描く物語が大好きです。
これからも、大切に読ませてください。
これからも、その物語から勇気をわけてください。
あなたと出会えたから、僕も自分の物語を描くことにちゃんと向き合えるようになりました。
あなたと出会えたから、僕の物語に、これだけ多くの大切な登場人物たちがいます。
ほんとうにありがとう。
もらったエールに、手を握り返せる自分でいたいな。
あなたから溢れだした涙がすべて輝いていますように。
MC⑦
【En.2】一番星
楽しくて、楽しくて。
一緒にいる空間を楽しそうにしてくれることって、本当に幸せですね。
こういう、僕らの距離が歌になる系の曲に弱い。為す術がない、もうまな板の上の鯉です。いえ、そこはやっぱり鯛でお願いします。
2日目のMCを聴いた直後の「(ほら)もう(もう)大丈夫」に救われた自分がいて。
どんなに言葉を尽くしてこちらへ感謝の言葉を届けてくれても、とても嬉しいなあと受け止めつつ、頑なに「その言葉に甘え過ぎちゃいけない」って対面越しにネクタイをシュッとしてくる自分がいて。
こちらを信頼してくれるこの関係性がすごく誇らしいなあって思う一方で、なんだかそれを誇らしげに寄りかかったら崩れちゃいそうと震える自分がいたりもして。
でも、なんだかあの日は救われたのだ。
その瞬間までに公演中高まっていった熱気のせいなのか、5年分の積み重ねのせいなのか。
ああ、僕らはもう、大丈夫だって。
もう、こわがらなくていいんだって。
すごく驕り高ぶった話をひとつ。
今考えると可笑しくなるくらい緊張していて進行メモまで準備して一生懸命まわそうとしていたあの姿、リリースイベントでの歌唱のたびに行った深呼吸、やたらと需要と供給を気にされていたあの姿を見るたびに、「自分はこの人にとってどんな人になりたいんだろう」と考えたことがあって。
友達、みたいな関係になれたらいいなって思っていたんですよね。
苦しくても立ち上がり続けないといけない立場の人だから、間接的な関わりの中で励ましたりできたらいいなって。
リリースイベントみたいな空間がもっと楽に呼吸ができるような空間になればいいなって。
もっと、間接的な中で、仲良くなれたらいいなって。
なんだろうな、
あまりそこに甘え過ぎちゃいけないけれど(?)
友達になれたと思えた瞬間でした。
この楽曲について、ナタリーの記事で『今後この曲をライブでたくさん歌って明るい曲として浸透したあと、例えばバラードバージョンにして披露する機会があったときに「ああ、この歌詞って、実は……」みたいにじんわり響いたら素敵だなって。なので「そういうイメージで歌詞を書いてください」と。』とお話しされていましたね。
バラードバージョン、聴きたいなあ。
特に『一番星』だと、通常のポップな曲調だったら「まさに今」というリアルタイムでの青春感を味わえるわけだけれど、バラードバージョンとなると視点が「過去へのまなざし」になるんじゃないかなあ。楽しかったあの時間を、ゆっくり思い返すみたいな。
それはなんだか、もっともっと楽しい「今」が積み重なるほど味が増すんじゃないかな。
だからこそ、今はもっともっと青春していたいわね。
そうね、一緒に楽しく遊んでいたような時間で。
まず、サビ終わりに星をひと筆書きする振り付け。
僕、いまだに星を一筆書きできないのですよ。「うああああ、わからんんんん!!!」と宙にぐちゃぐちゃっと書き殴っていたんですけれど、曲終わりの方になってくると昂ぶったのか、雨宮さんもぐちゃぐちゃっと殴り書きされていて、なんだかその笑顔がめちゃくちゃ嬉しかったのでした。
僕がちゃんと5つの点を結んで星が描ければさ、「雨宮さんと積み重ねてきた5年が繋がって~」云々のこじつけ話をできるんだけれどさ、まあ、ひと筆書きできないんですわ(笑)
次に曲に組み込まれていたのはバンド紹介。
生バンドすごく楽しかったなあ。僕はあまり演奏的な部分を表現する豊かな言葉を持たないのだけれど、生バンドという初の試みが行われた今回のライブ、生バンドだからこそ体が音楽に乗って跳ねたり、受け取る楽曲のイメージが少しこれまでとは違ったものもあったことは明白で。「もっとちゃんと皆さんにお見せできる自分にならなくてはと思っていました。」と、ライブのたびに表現の幅を広げようと模索されてきた雨宮さんにとって、また1つ大きなカスタム武器が手に入ったのかな。
「天ちゃんバンド」と名付けられたバンド隊。天ちゃんダンサーズもそうだし、その他いろんなスタッフさんもひっくるめてブログで「天ちゃんチーム」と呼称されていたけれど、雨宮さんが自分のことを「天ちゃん」と少しフィクションめいた言葉で表現されることがちょっと嬉しい瞬間があったりするのです。
そもそも「雨宮天」が彼女その人な訳はなくて、その像が彼女と彼女以外の間に作られたフィルターとして作用している面だって必ずあると思うのです。彼女は「雨宮天」である前にもっと別の誰かで、だからこそ昔はなんとなしに「雨宮天」であることを重たく感じないでほしいな、僕の「雨宮天」像を押しつけたくないな、なんて思っていたんですよね。
時が経って、きっとご自身の中でいろいろ乗り越えてきた部分だと思うんですけれど、「髪の毛のちっちゃい天ちゃん」話とか「うがいをすることでちっちゃい天ちゃんが菌をてやーてやーってやっつけてくれる」話とか、そういう風に自分のことをおちゃらけて「天ちゃん」っていう時に「雨宮天」であることを自分で楽しまれているなあと感じる瞬間が増えてきて、そのひとつとして、自分のことを「天ちゃん」というコンテンツ化して楽しまれていることが、なんだかホッと笑ってしまうのです。
僕はいつか弦楽器隊が加わってほしいなあ、なんて思っていたりするんですけれど、その時はどんな呼称になるのかなあと今から楽しみだったりするのです。
そんでもって、間奏でのクラップやウェーブ。
特にクラップがほんんんんんんんとに楽しくてなあ。
笑顔でああいう遊びを一緒にやれることが嬉しくて。幸せなのでずっと手を叩いていたかった。日が暮れても公園で遊び続ける子供たちみたいに、ずっと遊んでいたかった。
楽しすぎて最後連拍しながらポロポロ泣いてしまったのでした。
そんな風に、跳ねて笑って落書きしてまさに”遊び尽くす”という言葉がぴったりだったあの時間。
遊びって現実逃避みたいなものだと思うのです。
敬愛するQUEENのフレディ・マーキュリーが「誰もがそれぞれの問題を抱えている。(中略) QUEENの曲はいい映画を見に行くみたいに現実逃避なのさ。『いいものを見た』と、またそれぞれの問題を抱えた生活に帰っていく」と話しています。
誰もがどんなに仲のいい友人でも知らない現実を持っていて、それぞれの問題を抱えている。
現実から少し離れて雨宮さんに会いに行った帰り道、いつも歩いていた道がまったく異なった輝きを帯びて見えるのです。
でも、日常が戻るにつれて、いつもの景色にも見えてくる。すっかり脳裏に焼き付いた、長年住み慣れた、どこまでもだるく、平穏な景色。そんな景色に口数も減って溶け消え馴染みそうにもなるんですけれど。
それでも、あの日見た景色のことを思うと、また強くなれるのです。
あの日浴びせられたマシンガントークを、あの日僕らだけの秘密基地で開催されたリサイタルを思い出すとキッと、前を向けるのです。
ある種の諦観と共に身体の中に大切に閉じ込め周波数を見失い狂った電波時計の針が、突如として標準電波を拾ったみたいにぐるぐると回りだすのを感じる。
見上げれば一番星。
ほら、もう迷わない、輝いた星が僕を導くから。
次は「もう大丈夫」と、笑顔で会いに行きたいな。
【En.3】Song for
メインステージから両サイドに伸びた通路の先、客席へ笑顔で手を振りながら歌唱する雨宮さん。
誰かから向けられる「そのままでいいんだよ」という肯定の言葉は、こんなにもあたたかいんだなあ、と。
それは現状維持でも、ましてや後退でもなくて、「だからこそ」という気持ちを決意させてくれる、優しく心強いエールで。
「青」ってどうしても手を届かせたい理想とか、クールだとか、どこか遠く冷たいものとして充てがわれるけれど、僕がこの曲に感じる「青」はそれじゃなくて。
それは空とか海とか外から僕らを包み込んでくれている大きな大きな「青」で、包み込む「青」。
慈愛、と言えばいいのかな。
雨宮さんはそういう青さも本質的にもたれている方で、僕らに向き合ってくれるとき、よくそんな優しさを届けてくれるのです。
この曲はそんな、 「頑張ってる人が孤独じゃないといいな」と思い遣ってくれた雨宮さんを100%感じられる歌じゃあないかなあ。
優しくて
優しくて。
その優しさに感情はぐちゃぐちゃとしていくのだけれど、手を振り合ったあと拳を握ったのはなんとなく憶えていて。
「だからこそ」、か。
うん。
あまりの眼前に広がった暗闇に、前方180度を見回しても光が見えなくて立ち止まってしまっていた時期でした。
「立ち止まって振り返ってほら」という声に眼をむけると、そこには雨宮さんの笑顔がありました。
そうか、振り返ってもよかったんだって、あの時すごく救われて。
悲しいことに人間だからとっくに衝撃的な救いも忘れてまた立ち止まってしまっていたけれど、今こうしてあの日のことを思い出してまた救われて。でも、その時と違うのは、その雨宮さんの笑顔の後方に、雨宮さんのお陰で出会えた大切な人たちの顔があったこと。
ああ、もう、なんだかなあ。
あなたが進む道を、あなたの後ろ姿を知っているから。
この獣道をあの星の方へ進もうと思います。
だから、あなたはあなたを置いてかないで。
あなたが居たかった場所にもちろん辿り着いてほしいけれど、あなたが痛かった場所に在ったあなたもちゃんと認められて、旅立つあなたを見守っていていますように。
【W En】挨拶(2日目)
■Wアンコール
ありがとうございます。えー、今日は、あの、本当にこの5年の集大成のライブで、今の雨宮天にできることを全部詰め込みました。応援ありがとうございました。ぜったいぜったい、またみんなで最高の景色を作りましょう!これが、みんなが応援して作ってきてくれた雨宮天です!
ありがとうございました。また絶対、どこかでお会いしましょう!
ありがとうございました!
「これが、みんなが応援して作ってきてくれた雨宮天です!」という言葉にすべて救われて、自分が勝手に感じていたものが少し赦されたような気もして。
これまで、雨宮さんとの関わり方として僕のベースにあったのは「分からない」という部分で。
よく人から言われる言葉から考えると、皆さんにとっても、私の考えていることや思いが分かり難い時もあったのではないかなと思います。
それでも私で居させて下さりありがとうございます。
『こうだ!』って決めつけないで、『こういうことかな?』とか、『分からない』って思って下さりありがとうございます。
(雨宮天公式ブログ 2014年 大晦日)
すべてを見せることが、なにもかも伝えてもらうことが、僕たちに、必要なことなんだろうかと思っていて。そうではなくて、お互いがお互いを、たったひとつの「心」なんだと尊重しあって、すべてを見たがらない、暴こうとしない、ということこそが「関わる」ということなんじゃないだろうかと思う。
ラジオやリリースイベントでのMCを聴いていると雨宮さん自身も「分からなさ」を前提に「こういうことかな?」と考えてくれる姿があって、「人として接してくれてるな」とも感じたりする。
うん、その肌触りは「ファン」というものではなく、やっぱり、「人として」な気がする。
ご自身が発信する側に立っても、その「分からなさ」をこちらに委ねてくれているのが心地よかった。
その思いで、自分なりの応援をしてきたつもりではいるのです。
でも、どこかにやっぱり正解を求めたい自分もいて、何か押しつけちゃってないかな、とか、嫌じゃないかなとか、僕は気持ち先行で頭でっかちにいろいろやってしまうから「あれは不味ったなあ」とか、勝手に悩んだり落ち込んだりして、それは分からないを前提とした「関わる」にはごく自然に在らないといけないことだし、問いの中にいなきゃいけない、問いの中で自分を律しないといけない、その関係性でこれからもいたいなと思いつつ、やっぱり正解はどうだったんだろう、間違えちゃないかなって考えちゃうこともあって。
「私は私の人生を絶対に成功させたい」という人の人生を、僕は狂わせていないかって。
だから、「これが、みんなが応援して作ってきてくれた雨宮天です!」という言葉にすべて救われて、自分が勝手に感じていた罪みたいなものが少し赦されたように、楽になれたのです。
正解が提示されたというわけではなく真実として、ただ自分が自問自答の中で関わって重ねてきた時間が「これが、みんなが応援して作ってきてくれた雨宮天です!」と真実として誇らしげにしてくれたことに、すごく赦された気持ちになったのでした。
勝手だよなあ、ほんと。
これからも自問自答しながら、出来ることを増やしながら、関わっていけたら幸せだなあ。
そんな自分の免罪話はさて置き、確固とした「自分」を持っている雨宮さんだからこそ響く言葉だなあと思っていて。
応援してくれている人、関わってきたスタッフさんや仲間と作り上げてきた「雨宮天」という在り方を、あんなに誇らしげにしてくれたこと、これに勝る幸せなんて、どこにあるでしょうか。
そんな人と創れる「これから」が本当に楽しみで。
あの人が、あまり好んで使いたくない表現だけれど「コンテンツ」として、第二の人格として、”雨宮天”を好きになってくれたらなあって、”雨宮天でいること”を好きになってくれたら、って思ってて。
そう思い想ってきたし、勝手に「間違えたな」って落ち込んじゃったり、
「雨宮天でいること、苦しく思ってないかな」ってのが、楽しそうにしてくれている光景や言葉は受け止めつつ、でもやっぱり心の奥底にドロドロしたものとしてあって。
すごく、力が抜けて、わけがわからなくなって。
理性では「甘えちゃいけない」って思うんだけれど、それでも、それでも、だったのよね。
そうだなあ。
雨宮さんが作ってくれた自分、となると、自分のこととなると発露が難しくなるけれど、雨宮さんのお陰で出会えた素敵な人たちというのがやっぱりその答えになると思うのです。
雨宮さんと出会ってから本当にいろいろな人と出会って、話し込んで飲んだりライブついでに旅行して飲んだり風呂入って飲んだりBBQして飲んだりりクリスマス会して飲んだり花見して飲んだり、本当に、信じられない瞬間を積み重ねてここいるんだと感じています。
そんな人たちと創れる「これから」が本当に楽しみで。
そうだなあ、だから、ちゃんと自分をがんばらないとなあ、って。
んー、
僕が雨宮さんに惹かれたのは同い年でお顔が綺麗で青が好きでお顔がかわいくて、そして何よりネガティブなところに同族意識みたいなものを感じて、だったりして。今思うと、本当に何もわかってなかったなあと思う所なんですけれど。
雨宮さんのネガティブさというのは僕のそれとは違ったもので、「挑戦」とうものがベースにあるからこそのネガティブさだと思うのです。
だからこそ、ライブ開催がアナウンスされたブログでの「今の感じだと、もしかするとこのライブをやったら暫くはソロライブをやらないかもしれないので出来ることをいっぱいしたいと思っています。」という言葉は、それほどこの挑戦が大きかったということもあるんじゃないかなあ、と。
「ここから先、つづいていくイメージがないんです」と、ソロアーティストデビュー時に語られていたあの言葉。
あのときは、雨宮さんのネガティブさを象徴するような言葉として受け取っていたけれど、今、ここに来て振り返ると、未開の地をここまで切り拓いて進んできたのだと痛感される。
藻掻いて足掻いて、葛藤しながら進まれていく、挑戦して、出来ることを増やしていくその姿は本当にかっこよくて。
ライブに関しても1stの"Various SKY"から重ねてきたどの公演も挑戦に充ちていて、ソファーや傘といった小道具、ミュージカルパートにイントロのカットインといった演出面、歌唱にしてもひとつの音、単語、フレーズはどんな描写でどんな感情を込めるか、声色やその強弱、溜めであったりこぶしや濁し、そして息づかいの工夫を細かくこだわり強く向き合ってきた雨宮さん。
今回のライブも、今までに固執することなく常に前を向き進み続ける、そんな姿勢を感じたライブでした。
ライブ後のブログで
実は今の自分の限界を感じ始めていて、このままソロライブを続けていくのは厳しいかなと感じていました。
もっとちゃんと皆さんにお見せできる自分にならなくてはと思っていました。
でも昨日今日で限界をひとつ突破できたような気がしましたし、もっと強くなりたいという思いが強まりました。
みんなに力をもらって、出来るような気がしてきました。
(雨宮天 公式ブログ The Clearest SKY)
と表現の限界を感じられていたことを明かされていたけれど、それはやっぱり上を上を見据えていくマインドならではのもので純粋にかっこいいなと思うし、ぶち破る糧に少しでもなれたらいいな。
んー、何ができるかなって思っても、やっぱり楽しみに待つことしかできないなあって思えて。
声優として歌うこと、を大切にされてきた雨宮さん。
以前、『誓い』のリリースにあたってイベントで
今年もたくさんいろんな作品にアフレコや演技、ナレーションと声優として関わっている雨宮さんだから、そこでいろんなものを経てアーティスト活動に還元していくこともあるんじゃないかなあ、と楽しみにしているところなのです。
これからも、いろんなことを楽しんでほしいな。
あなたが楽しんだ結果、喜ぶ人がいるのです。
そうだなあ。
期待されるのは苦手とお話されてましたね。
なので、実は「楽しみにする」ということが変にプレッシャーを与えるのではないかと苦手だったりしたんですけれど。
でも、なんだか近頃、笑顔で理想へ向かって手を伸ばし続けるあなたをみていると、大丈夫かなって思えるのです。
もう怖がることをやめて、届けてくれる"凄いモノ"を楽しみに待とうと思うのです。
楽しみといえば、今回のライブも映像商品化されるということで、ね。
あのー、麻倉ももさんみたいにいつか1stライブの映像も出してくれると嬉しいなあ。
(編集さん、ここ太文字で26pxくらいにしといて)
はい。
雨宮天さんがソロデビューされえてから5年間、僕たちに雨宮さんの声を届けようと尽力して下さったスタッフの皆様、本当にいつもありがとうございます。
お陰で、とても楽しく充実した5年間でした。
これからも、よろしくお願いしますね。
そして、こんな僕と仲良くしようとしてくれている青き民のみなさん。
ほんとうに、んー、お世話になりっぱなしだし、助けてもらってばかりで。
いつも、ほんとうにありがとうございます。
もっともっと青春していたいから、もうちょっとマシな自分で戻りたいとおもいます。
これからも、末永くよろしくお願いしますね。
うん、本当に、さいっっっっっっっっっっこうに楽しくて魅せられる部分が多くて、幸せなライブだったなあ。
ライブ後みんなが想いの丈を綴ってブログが乱立したのが、なんだか可笑しくて、いい光景だなあと感じていたのでした。
そうだなあ、もう6周年目なのか。
雨宮さんに出会う前、僕は諦念しきったように傍観を決め込んでいて、頭の中には、いつの頃からか、薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、それは、紗の服なんかを着込んで、そして、月光を浴びてゐるのでした。
七年前の或る日、私の胸に幽かな淡い虹がかかって、それは恋でも愛でもなかったけれども、年月の経つほど、その虹はあざやかに色彩の濃さを増して来て、私はいままで一度も、それを見失った事はございませんでした。
その"幻影"のような、"斜陽"のようなものを追いかけて過ごしてきた日々は本当に幸せで、こんなに素敵な生き様を傍らで観させてくれたことは僕の人生において大きな宝です。
人は何のために生きているのかというと、誰かに生きる勇気を与えるためにいきているのだと思うのです。
僕はそんな風に生きているのか、ちゃんと生きているのかは自信がないけれど。
僕はあなたから生きる勇気をもらっています。
だから願わくば、願わくば、願わくば、僕もあなたにそう思ってもらえるように生きていたい。
あなたが1段だけ置いてくれた、真っ白く光る階段。
それをなんとか、自力で上へ上へと重ねていかなければと思う。
穴に躓いてしまったとき、あなたがいつかそれを埋めてくれる前に、
僕は少しずつ自分で何か植えてみようと思う。
歌じゃなく言葉で伝えてくれたことが、嬉しかったWアンコール。
直後、流れていたのは『Skyreach』。
その選択に、ふふっとなんだか笑ってしまって、二度ほど頷いたのでした。
これからも、まだまだ青を感じさせて下さいね。
ここまでいろんな辛い現実が、あなたを悩ませたと思います。
それでも、それでも
精一杯、出会ってくれてありがとう。
ずっと届けてくれてありがとう。
僕をここまで歩かせてくれてありがとう。
あなたを想うことで僕は自分を支えることができました。
たった一度だけすれ違って
光を見せてくれた あなたへ
#天青人語
2日目ライブセットリスト
※初日分
16.Silent Sword→Marvelous scene
17.Trust Your Mind→Breaking the dark
【ライブレポート】雨宮天、初のバンドスタイルに挑戦した幕張公演2DAYShttps://t.co/y3Fdq27wDe
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) January 26, 2020
#雨宮天 pic.twitter.com/PyHybqW6D9
【特集】雨宮天「PARADOX」インタビュー|ポップに突き抜けた新境地の10thシングル #雨宮天 #リケ恋 https://t.co/sAfv2nwlI3 pic.twitter.com/xueNUqFeLq
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) January 14, 2020
雨宮天 公式ブログを更新しました。 『みんな元気ですか?』 https://t.co/W0YSfXNtMe
— TrySail公式 (@trysail_staff) March 27, 2020
■雨宮天 公式サイト:http://www.sonymusic.co.jp/artist/amamiyasora/
■2020年春クールアニメ出演
天晴爛漫!(ジン・シャーレン)
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(キース・クラエス〈幼少期〉)
プリンセスコネクト!Re:Dive(ミヤコ)
■2020年夏クールアニメ出演
彼女、お借りします(水原千鶴)
■TV出演
■ナレーション
東京の空 (1月26日放送)
■他コンテンツ
■そらのはるやすみ 公式Twitter
こんにちは。雨宮天です。
— そらのはるやすみ (@sora_haruyasumi) April 17, 2020
家にいる時間が増え、何か皆さんと楽しみを共有出来ないかと考えて『そらのはるやすみ』という企画を始めることになりました!
一緒に楽しんでいただけると嬉しいです!(雨宮)
4月17日(金) #そらのはるやすみ #雨宮天 #青い人 pic.twitter.com/vsFyhffI9I
■雨宮天 公式YouTubeチャンネル
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