【ゲーマーズ】雨宮天 『誓い』リリースイベント


こちらは2018年5月31日にゲーマーズ秋葉原店にて行われました雨宮天さんの6thシングル『誓い』のリリースイベントに纏わる懐旧譚です。


ゲーマーズ秋葉原に入るには閻魔大王の審判を受けねばならない。日頃の行いが悪いと入店できないのだ。
でも近くで「冥土リンリン♪冥土リンリン♪」とウキウキソングが聴こえてくる。冥土も案外リンリンなのかもしれない。そんなことを思いながら僕は閻魔大王に日頃の自らの善行を楯に願い出た。

「いつも遅いので今日は定時であがりますね。」と。


ご入場。
雨が降ってなかったか気にされつつ、今現在降っていなかったことに驚かれていましたね。

以前雨の中『誓い』を聴きながら自然公園みたいなところを歩いたことがあったんですけれど、まだ萌え出たばかりの木の芽に降りかかっていて、そんな景色を見ながら聴いてるとこの曲は文字通り芽木の雨だなあって思ったのですよね。そんなことを雨を気にされていた姿を見て思い出していたのでした。

衣装につきましてはブログ記事をご参照くださいませ。
今日はね、『誓い』に合わせて女子っぽい服で来たんですよ。」と可愛らしく、優しい色の巻きスカートを披露されていましたね。そしてその裾を持つ腕につけた青色のブレスレットがとても綺麗だなあと。


 

 

トーク内容はこちら

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 【みなさまへ】

イベント内にてご本人が話されたものを起こしたメモは別記事にして別途パスワード付きのページに纏めさせて頂いています。上述のリンクからお進みください。

 

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2ndシングル『月灯り』以来のバラードとなった『誓い』。Aメロとサビが繰り返しでシンプルな構成でありながら、レコーディングには「歌詞がすごくエリザベスに寄り添ってるものでしたし私の頭の中にもエリザベスとメリオダスの笑いあっている姿があったのでそれと、でも私らしさも大事だし蔑ろにしたくないっていう思いもあって」と試行錯誤が伴ったことをお話されていましたね。

 

 

曲のタイトル、ご自身が提案したという『誓い』について。

「エリザベスの姿を想像した時に、『ただ無力で願っている子ではないな』と思ったんですよね。 」と、そしてシリーズを重ねるごとに力強くなっていくエリザベスの姿、演じているからこそ感じられれエリザベスの姿から最初の候補にあった『願い』を強くしたような言葉である『誓い』を提案したことをお話されていましたね。

"ただ無力で願っている子ではない"というのが凄くしっくりきて漠然と、でも確かにこれまでのエリザベスや仲間たちとの物語を想うとこの『誓い』というタイトルがしっくりくるなあと。

 

そして、「作詞家さんにつけてもらったのもそうなんですけれど」と前置きされつつ、「自分が『これだ』ってタイトルをつけさせて頂いたものはやっぱり曲への思いもいっそう強くなるように感じますね。」ともお話されていました。

「作詞家さんがつけたのもそうなんですけれど」と前置きしつつ、それでもやはり本人の源泉から最もその色に近い形で塗られた作品はどんなにキャプションが名文でもそのキャプションは蛇足でしかなくて、ただただ綺麗なのですよなあと。

 

 

『七つの大罪』のエンディング映像についてもお話されていましたね。

 

キャラクターが手描きのタッチから浮かび上がり色味が帯びていく映像が凄く好きだとお話されつつ、「他のキャラクターにも当てはまる曲だなって。出てくるキャラクターみんながいろんなものを背負って、相手のことを想っているんだなって気づいて嬉しくなりました。」と、実際に作品と寄り添ったものとなった感想を。

 

そして最後までメリオダスの顔が出てこないことと手だけが出てくることに触れつつ、『そっと手を握るの』という歌詞を手を握るイメージを大切にしながら歌ったと、「思いを込めた所とリンクしたのが嬉しかったですね。」と嬉しそうにお話されていたのが印象に残っているというか、嬉しかったです。

 

「歌詞がすごくエリザベスに寄り添ってるものでしたし私の頭の中にもエリザベスとメリオダスの笑いあっている姿があったので。」と、この日お話されたことに近いようなことをお話されていたり、先行して披露されていたライブでもまだこの映像を観るまではエリザベスとメリオダスの二人をイメージして聴いていました。

なので初めてこの映像を観たときは凄くしっくりきたといいますか。多少は聴いていてエレインやディアンヌの姿も思い浮かべないことがなかった訳ではないんですけれど、よりこの映像でしっくりきたというか、彼女たちと彼らの関係がとても綺麗だなあと思えたというか。あのエンディング本当好きですね。

 

 

そんでもって、「ラストスパートになりますが、まだ観てないよって方も観てくださっている方も最後までみんなの行方を見届けてくださったらなと思います。」と。

 

楽しみにしてます。

 

リリイベ中の『誓い』についてのお話はこんな感じでしたね。

 

少しだけこの曲の今現在の感じていることを纏めさせてもらおうかなと思うのですけれども。
『七つの大罪』のタイアップが決まっていることを前提にライブでの歌唱を聴いていた時に持った印象が「意思と意志の詰まった曲だなあ」というものでして。
意思とは自分の考えや思いのこと。
意志とはそれに対して決意を保とうとする心構えや在り方。
 
もともとのイメージとして意思って内在的な感覚があって、仮に表層的には冷たかったり厳しかったりしてもその意思は優しいカタチをしている感覚があって、一方で『意志』って強いというか、鋭い、何にも脅かされたり曲げられないように鋭く、強く在ろうとしているイメージがありまして。
エリザベスの仲間たちへの優しい想いと、その想いから発露した、“願い”ではなく“誓い”という強い覚悟を感じさせる心の持ち様。
 
「Aメロはエリザベスの持つ慈愛や包容力、サビは雨宮天らしく~」と雑誌記事やこれまでのリリースイベントでも語られていましたけれど、まさにライブでの印象はAメロが優しい意思、そして圧倒され肌がピリピリしたあの力強いサビからは息を呑むくらい大きく綺麗な意志を感じたのですよね。
 
以前「青に込めてきたものは意志」という風に発言されていたんですけれど、この曲のミュージックビデオでも今回のリリースイベントのオーディオコメンタリーで言及された通り本人の希望で『青』が用いられていて。ランプの光とか、飛んでいく光のエフェクトとか。
 
じゃあこの曲から伝わる青ってどんなイメージだろうって考えたんですけれど、聖母マリアが近いのかなあって。
 
聖母マリアって必ず絵画では青で描かれていて単に「ロイヤル」っていう成分だけでなく、そこには「すべてを包み込むような優しさ」っていうものが内包されているんじゃないかなって思うのですよね。教会のステンドグラスに青が多く用いられているのもそれと同じ気がして、だから教会ってあんなに包みこまれているように落ち着くのかなあって。
青の高貴性ってもともと「優しく罪を包む」ような成分があって、そこに大衆にとってのキリスト教/教会的な要素であるロイヤル性が加わっていったのかなとすら思うんですけれど(独学的な美術観なのでそれが本質とは思わんけれど)
 
それに教会って誓うところだし、罪とは切り離せない関係だし、と耐久性に欠ける補強を施しておく。
でも、なんか『誓い』の青にはそういう視覚的なイメージがあるのでこれが7月から始まる1st ライブツアー『The Only SKY』ではどんな光景が眼前に広がるのか、その景色を借景としてどんな庭園を心の中に作れるかが今からとても楽しみなのです。

 


普段なかなかひと聞き惚れしないけれどこの曲はひと聞き惚れだったと、同じひと聞き惚れだった『irodori』や『Eternal』をうまく引き合いに出せず「説得力ないですね(笑)」とお話し始めたのはカップリング曲の『Abyss』について。

 

 

『内面的な叫び』をこれまでに表現したことがなく、切なく苦しく歌うのかカッコよく力強く歌うのか、これまでの「雨宮天らしい曲」でありながらも試行錯誤はあったという『Abyss』。

 

「特に」と例として挙げたのが一番最初のロングトーンで、もっと深いところからの叫びになるように、「今のじゃ弱い」「今のじゃぶつけすぎだな」と凄くこだわったそうな。ここも曲中で好きなポイントだったので、このお話が聴けて嬉しかったなあ。

 

 

 

作詞家さんとの解釈のズレが最初はあったと声優アニメディアさんにてお話されていて、どこなのかなあと思っていたのですけれど、どうやらDメロの、「お願い 何処へも行かないで ごめんね もう1人にしないから」でしょうかね。

 

当初その部分はそこまでの流れより弱々しい印象があったそうで、作詞家さんにもう「少し弱くできませんか」とお願いしたそうな。後はナタリーや他の記事等でもお話されている通り、そこで作詞家さんに「歌詞にある君は自分自身のことなんです」と言われ、『Abyss』の登場人物は一人なようで自分自身もいる、かつて見放した自分自身に対する叫びなんだと落とし込んだそうで。

 

     

そうやって「こだわり抜いて作ったのでカップリングだけれどカップリングにはもったいないくらいステキな曲になりました。」と生まれたという『Abyss』。

     

1番サビ前の「絶望さえ意味を成せぬ闇」っていう歌詞がすごく好きな歌詞なのですよね。

 

絶望さえ意味を成せぬ闇、絶望とはまた違った虚無に近いモノに対して叫びたくなることってやっぱり生きてりゃあるわけで。そうやって自分の中の先が見透かせない闇に向かって叫ぶことで、それが反響してまるで自分に向けて叫ばれているように感じられること、それよりむしろ自分に向かって叫んでいるのだけれどなかなか向こうの自分が受け取ってくれないことの方が多いのですけれどね。

 

     

この曲の好きなところって最後まで虚無って言うか、この歌詞の主人公に最終的に救いは訪れていないように僕には感じられる所なのかなとも思いまして。

 

そういう風に、この曲に救われるというよりは、この曲が存在していることに救われる気持ちがあるのですよね。そんな気持ちが、その虚無自体が存在を肯定されたみたいで楽になる感じ。ここの所そういう虚無感になることがお陰さまでポジティブ人間に改造されたので機会が無いんですけれど、多分この曲をそういう気持ちの時に聴くと目に光が戻ってくるんじゃないかなあと思うのですよね。多分安心して眠れる。



そうそう、夢想。


突然ですけれど“Various SKY”の『Glitter』からの『チョ・イ・ス』の流れがとても好きでしてね。

(こちらにちょこっと氣と気の解説してたり)


『Glitter』の氣(外向きのエネルギー:こうしたい)と気(内向き:記事で言う所の解決しきれないもやもや)のせめぎ合い、そしてそこから「全部選択肢じゃん!」っていう氣への変遷がめっちゃ好きなのだ。


ただいつか氣と気のせめぎ合い(Glitter)→気(Abyss)の流れ聴いてみたくてウズウズしてたり。




ミュージックビデオコメンタリー

起こしたものは先程のリンク先にあります。

 

姫感とか慈愛顔とか花粉との格闘など「これも!これも!」と詰め込むようにお話されてましたが、やはり1番脳裏が憶えてるのはミュージックビデオでも青へのこだわりを語られている姿。


「ミュージックビデオには青入れて欲しいんですよね。それで何人の悩む監督を生み出すかは分からないですけれど(笑)」という悪戯そうな笑顔が印象に残っています。急に青なくなっちゃったら何回も探しちゃうだろうなあ(笑)



そうだよなあ、イントロのふっと火を灯すところもすごく好きで(廊下をこの火を持って歩いているところとかも)、この火の秘密もね、お話されててね(´×`)


あと陽の光のあたたかさが伝わるカットが凄く好きなのですよなあ。


アンケートコーナー

◯Abyssに沈んだこと
漢検2級にあと3点で落ちた
タイムリーで漢検の話題でしたね(この時点ではまだ漢検ジャーナルvol.24の情報は出ていなかったですけれど)。
漢検ジャーナルの記事とても良かったなあ(´×`)声優としての在り方だったり、漢字とお仕事が繋がってるんだなあって、そして最後のメッセージも素敵でね。好きは大事にしたいね(´×`)
 
 
◯Abyssに沈んだこと
胃カメラ中に食べたヒジキが出てきて笑われた
ヒジキはどこにでもいるという怪談。こんにゃくの黒い粒々はヒジキなので、あいつら湯煎したら出てくる説ある(ない)。こういうバカみたいな話って本当にリリイベって感じがしていいですよねー。 
 
 
◯歌って欲しい曲/やって欲しいこと
麻倉ももさんや夏川椎菜さんの曲のカバー
御本人も「ありえるなら」と挙げられてましたけれど、『パレイド』は凄く聴きたいなあ。あの曲本当に好きで、あの曲は夏川椎菜さんだからこそってあるんだろうけれど、カバーと言わずに、何かこうああいう頭を抱えて体を屈ませながら自分の内を吐き出していく系の、そして最後は無声慟哭から空を見上げての嘆きに変わっていくような曲も聴いてみたい(『パレイド』やん)。 
 
でも、本当に何かそういう曲というか世界観を演じたものを受け取ってみたい気持ちはありますねー。
 
うーん、カバーっていうよりはこの人がいろいろ作詞家さん作曲さんといったクリエイターさんが作ったいろんな世界を演じ分けていく、その演じた者を受け取っていきたいというか、ソロてしてのいろんな挑戦を受け取りたいかなー。 
 
 
◯誓いをたて叶えるためにしていること
6時間睡眠
寝ないと風邪をひくっていうのは共感できるなーって。中学時代は毎日深夜3時までラジオ聴いてても無遅刻無欠席だったけれど、今はもう4時間切るとダメで、どうしてこんなに不健康になったのだろう。 
7時間睡眠を目標としているのをお話されつつ、どうにかそれを確保するために原稿や台本のチェックを隙間隙間の時間、メイク中に移動中に時間を見つけては行なっていることもお話されていましたね。 
慮る以上に、本当に忙しいのだろうなあ。 
健康には気をつけてくださいね。 
 
 
◯雨宮天に聞きたいことや言いたいこと
『pimary』のナイトクルーズの振りが好きです。
「楽しいぜ!」ってそうなっちゃうという趣旨のことをお話されてましたけれど、いいですよね、本当にそういうその場の呼吸のやり取りで生まれる、その空間が濾過されたような発露。 
 
振り付けを担当されているHIROMI先生が以前されていたツイートが思い出されまして。

 

 

 

改めて凄く質量が大きいなあと。自分の表現もそういうものでありたいなあ、なんて思ったりもするんですけれど。

「『そんな振りを付けた覚えはない!』って言われちゃって(笑) でもいつもその後に『でも良し!』」ってつくんですけれどね。」とお話されていて、嬉しかったなあ。15分くらい考えてみたけれど、嬉しい、だなあ。

 

 

◯雨宮天に聞きたいことや言いたいこと
青という色がピンクや黄色だったらどうしますか

「HPを削られたみたいに、「どこかにないかな」って探すと思います。」ってのが全然フィクションに聞こえなくてなあ…(笑) 治療に届けようにも「これ薄い!」とかになりそう。

 

 

◯Abyssに落ちたこと
リリイベ後ルンルンで帰宅したら靴下10足に海苔の味噌汁をこぼし洗濯するたびに海苔が服についた
My Girl vol.22でも披露されていた青インクこぼしエピソードをこちらでも、さらにその後の2度目のこぼし事件も踏まえてお話されてましたね。 
青インクを吸ってくキッチンペーパー、想像したら凄く綺麗なので万年筆…はちょっとまだお高いのでキッチンペーパーを買おう。 
 
 
◯Abyssに沈んだこと
ツアーでおいしいもの食べ過ぎて青い人Tシャツが着れない
青い人Tシャツがスタッフさんのみならずいろんな人に人気だったのが衝撃で、でもめちゃくちゃ頷けて。2枚目が楽しみなのですよなあ(チラッ 
 
 
◯雨宮天に聞きたいことや言いたいこと
直近で笑顔になったこと
飲み会と嬉しそうに答えられていて。なんだかそれが嬉しくてねえ。

「しょっちゅうは行けなくて、翌日朝から仕事があったり遅くまでもダメなので、たまの飲み会がすごい好きなんです。」と酔っ払うのが好きとお話されていましたね。

 

「沈んだ時も」ってお話されてて、うんうんというか。沈んだときに仲良くしてもらってる人、ここ数年は本当に雨宮天さんのお陰で知り合えた仲良くしてもらってる人たちと飲んでると、たまの飲み会がすっごく好きで、僕酔っ払うとすぐ寝るのでそれが惜しいのであまりガソリン積んでフライトはしないんですけれど、楽しくて、沈んだ時もねえ。

 

これからも楽しみだし、頑張らないとなあって、面白い話聴き笑いながら思ってましたねー。



この後プレゼント抽選会があって、そしてご挨拶でした。

自分に何かを課さずにいられない」「挑戦していないと、前に進み続けていないと不安になる」と前置きされつつ、挑戦も『やらなきゃ』より、みなさんがいるから『しなきゃ』じゃなくて『したい』『届けたい』になるんです。」と語ってくれたことが、なんだろなあ、名前のつけられない気持ちになって、名前つけなくていーやってなってるんですけれど。


ぬー。

「挑戦しなきゃじゃなくて挑戦したい」って言ってもらえたのが嬉しくて、「挑戦したい」も嬉しかったんですけれど、「挑戦しなきゃじゃなくて」がとてもホッと、熱燗をどうぞ。

返すべき言葉じゃない気持ちとかもあってそれは故郷の神社みたいに心の一等地に建立しておくしたまに相撲とったりマムシとったりした昔を思い出したり、これからを思って参拝するけれど(いかん、言語機能が心配だ)、

そこに『受け取ってくれるみなさん』っていう前置詞のtoだったり、『届けたい』って不定詞のtoだったりを内包させながらこちらに届けてくれたのが、ぬー


熱燗しかないが、いいかね?



やっぱりこの空間は美しいなあって。

あの優しい穏やかな空間は存在の感覚としてどれが近しいのかなって考えていて。

別にあの唯一的な空間を例える必要なんて本来はないのだけれど、存在の感覚を肯定してお礼を言うには必要なように感じられて、もうとっくに名前をつけるのは諦めているんだけれど、考えるのって楽しくてね。

それじゃ何が近いのかなあってとぼとぼと考えていたんですけれど、小学生の頃毎朝通学時に見ていた、田んぼ道を散歩する青いジャンパーのおじいちゃんと柴犬かなあと思えて。

犬は何かを見つけたように農道脇の草むらに歩いて行くんだけれど、おじいちゃんは何もそれを気にせず自分の道を歩いて行く。

おじいちゃんには後から付いてくるだろうっていう安心感があって、一方で柴犬には置いていかれることはないというか、待ってくれている事はなくてもおじいちゃんは必ずいつものその散歩道を歩んでいて、ただその道を再び行けば必ずその背中が見えると分かっているような、そういったただその互いの関係から発露したみたいに優しく穏やかな空間。

自分が在りたい姿とは必ずしも比例はしないけれど、とても心地よい、優しい空間というか時間の流れというか。


あ、これもなんかちげーな。

そげな感じ。

今日も酔いものをたくさん見て酔っ払ったので星よりひそかに雨より優しくとぼとぼふらふらと歩いて帰って寝ますかね。

起きたら頑張ろう(´×`)


理想の片鱗が詰まったアルバム、雨宮天さんにしかできない格好良いライブ楽しみにしていますね。