雨宮天ライブ2017“Aggressive SKY”


こちらは『LAWSON presents 雨宮天ライブ2017 “Aggressive SKY”』に寄せる懐旧譚。
 
   
2017年12月17日に行われたのは名古屋公演。  
会場は日本特殊陶業市民会館フォレストホール。  
この会場に行こうとするとえらく時間がかかる。  
4日間は帰って来れない。  
2017年12月28日の中野公演初日。
仕事を納めた後スーツのまま車、中央線、飛行機、バス、熱気球、そして公道最速の男子柔道部員の背中へ乗り継いだ。
男子柔道部員が大きな背中越しに語る
 
「RISING MOON ROCK'N ROLL

夜明けまで走りつづけようぜ
TOGETER!!」

 
熱くなっちまうぜ、俺も応える。
 
「俺もお前もフルスロットル
Aggressiveに行こうぜ
TOGETER!!」
 
師走の冷えきっちまったアスファルトに
熱いブラックマークをきざむ俺達。 
それは闘いの記録。 
柔道部員と俺の生きた証。
今宵俺達は風となり
羽ばたいていくのさAggrerssive Sky。 


そんなこんなでなんとか会場のサンプラザ中野へ辿り着いた事を思い出す。  

一緒に他の男子柔道部員の背中に乗り継いだAくんはいつのまにか姿を消し、翌日裏山の茂みで裸になって気絶しているところを発見されたらしい。 

 
特に千秋楽だった29日の中野2日目公演後は感極まったあまり震えが止まらず、アメフト部の胴上げから電車へ乗り継いでも手は小刻みに揺れていた。  
すると隣に座っていた美人な女性がおもむろに手を握りしめてきた。  

「何をするんですか」

「いえ、手が震えていたものですから…」

しかしその人の目は自分の行動に全く疑いを持っていない様子で、震える手を握るのは当たり前だと考えている節さへあった。  



彼女が未来から来た私の孫娘だということを、ついぞ私が知ることはなかった。  

多分そんな公演になっていると12月7日の僕はタイピングしてますけれど、年末のうじゃのさん、いかがでしたでしょうか。

 

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01.Velvet Rays

02.Absolute Blue

MC

03.夢空

04.Glitter

05.RAINBOW

MC

06.GLAMOROUS SKY/NANA starring MIKA NAKASHIMA

07.熱情のスペクトラム/いきものがかり

08.High Free Spirits/TrySail

MC

09.月灯り

10.コネクト/Claris(ジャズアレンジ)

11.羽根輪舞

12.irodori

MC

13.After the Tears

MC

14.Skyreach

15.ASH

16.Marvelous scene

MC

17.Eternal

-Encore-

18.チョ・イ・ス

19.Fleeting Dream

MC

20.Silent Sword

-W Encore-

21.RAINBOW

MC


01.Velvet Rays

鐘が鳴り響き始めると日は沈んでいき、セットの2階に雨宮天さんが姿を表すのです。

サビの振りつけを“Various SKY”ぶりに見れたのがとても嬉しかったんですよね。映像が残ってないから。
あの振り付けとても好きなんですよねー。 

うん、めちゃくちゃ好きだなぁあの振り付け。

後述するけれど、このライブではジャズアレンジされた曲を歌ったり、カバー曲ではBPMをあげたりもしていてそういう原曲アレンジ、持ち歌だけれど、“Various SKY”の頃、いや多分発売の頃から言ってるけれど僕は『Velvet Rays』のアコースティックアレンジをとても聴きたいなとこっそり。

曲が進むにつれて青の密度は濃くなっていく。


自由手にした白い鳥は
雨雲より高く 遠い空を目指す

そんな姿がデビューから、いや特にこの挑戦や攻めに満ちた御本人のこの1年と凄く重なるのです。 


間奏では客席を煽りながら階段を降りてくる。 

暗闇光る 道しるべ探して

Cメロでは暗闇の中青に包まれる。 
そしてダンサー達を羽根のように纏い、再び遠くへと羽ばたく。 
その羽根はきっと彼女を周りで支えるいろんな人たちなのだろうなと思ってしまって、この時既に喉奥が痛くなる。 

ラストサビのライトの演出も圧巻で。 

その光
で手に光が注がれ、

信じて
で客席へと放たれる

ただただ立ち尽くすばかりなのでございました。

02.Absolute Blue

鐘の音が広く会場中に散ると廻りだす歯車。

大サビ終わりにその手に掴むのは絶対的な青。

青、その肌触りは「遠さ」だと思うのですよね。 

例えばラピスラズリ。アフガニスタンのごく限られた地帯にしか出土しない鉱石、和名「青金石」、別名「瑠璃」。 

語源的にはサンスクリットを経由して「ラズリ」という音の響きが残されていることを感じられます。   

実際このラピスラズリが顔料として日本に入ってきた形跡はなく、正倉院御物の中に唯一、アフガニスタン から運ばれた石のまま象嵌されている紺玉帯にのみ、その青を認めることが出来ます。  


この様に日本人にとって『青』 が、遠いシルクロードの果ての彼方の光の色であった様に、また空想やおとぎ話を「conte bleu」、まるで到達し得ない「青い鳥」という理想的な存在を「oiseau bleu」と表現する様に青が「遠さの色」とされるのは様々な根拠を伴って世界共通だったりするのです。  


正直『絶対的な青』と言われましても漠然としすぎて分からないし、それは御本人にしか分からない色だと思うし、うん、正直まったく分からないです。  


でも、去年この曲を受け取った際に「雨宮天さんならいつかこの遥か遠く彼方の青に辿りつける」と思えたんですけれど、今年はそれをより上回る確信具合なのでございます。 多分来年はもっと。 


『青』自体が限りのなさの色である様に、これまでの青 の旅が限りのないものであった様に、この曲からは、これからどこまで広がっていくのだろうという果てしなさを感じるのですよね。

それは空の青が、宇宙の無に等しい無限の様に続いていると思えるからでしょうか。

ライブの感想?ただただかっこよかったです。 


MC1


03.夢空

優しいな、ってこの曲は本当に。
何度も何度も救われたこの曲。

イントロで青に包まれ、その光は歌い出しと同時に客席へ届けられる。


攻めた2曲の後、最初にこの夢空があったのはとても意味を見出したい点だったりするのですよね。

と言うのも前曲の『Absolute Blue』を含めたこの『夢空』、『Glitter』、『RAINBOW』の流れにとても心打たれて。

以前雑誌の記事で語っていらっしゃいました。 

ネガティブあってのアグレッシブですね。結局、ネガティブな感情こそが私の原動力だなと思うんです。うまくいくかわからないという怖さが最初にあって、その葛藤があったうえで意志の強さが生まれてくると思うのであくまでも私のアグレッシブさはネガティブ感情の上に成り立っていると思います。


あの頃の御本人の第一印象に「ネガティブな人」というのがありました。
しかし、それはそんなに時を経ずとも「甘えのないネガティブさを持った人」というものへと変わっていきました。

「ここまで来たら何も怖がることはない」と発揮されていく強さ。それはあの頃何度となく耳に届いた「私たちを知って下さっている方々だけじゃなくて、知らない方々にも」という挨拶にも現れていたと思うし、目をとじると瞼の裏で再演される言葉には変換できない景色に感じることができます。

本当のポジティブって原点には完全に甘えのないネガティブがあって、それは能天気な楽観的な「何とかなるって」っていうお気楽なポジティブより僕は絶対強いと思う。

この曲に感じる「弱々しさ」、ネガティブ。

弱さにも二種類あると思うのです。 
弱さを受け入れ、その弱さを武器として生きていこうとする姿勢と、自らの弱さを受け止め認めつつ、「自分にはそこから何ができるだろう」 と改善、弱さからの自立を求める姿勢の二つ。
前者は「弱さに溺れる弱 さ」、後者は「弱さの中にある強さ」 と換言しておきましょう。
その善悪 は置いておいて、結論から申し上げ ますと、僕が御本人に感じるのは後者であって。

生き急ぐ様な、何もかも失っていく様な多忙そうな日々に自身のために世界に軽薄になる瞬間は在り続けて欲しいなって、その甘えのないネガティブさがポジティブを求める声に掻き消されていかないで欲しいなって気持ちはずっとあって。

なんかもううまく言えないしドロドロしてるんだけれど、僕はこの記事でこの様に語ってくれたことが心底「嬉しい」という言葉では囲めないくらい嬉しかったのだよなぁ。


Cメロで青いサイリウムに、青い光に足元から包まれる姿がとても綺麗な景色。
青に包まれ雨宮天さんに注がれていた光は大サビへ向け客席へと流れていく。やっぱりとても懐かしい心地。
それはさながら夜明け前のBlue Hourのひと時に差し込んでくる朝陽の様な。

あぁ、生きていける


輝く未来へ 
そうこの曲は綴じられ、ステージ上の青は本人に閉じられる 。


ちょっと横道に逸れて、下書きなどを青い字で書くと未解決感、まだ定まっていない様に覚えます。
実に不思議ですよね。実際『青色』というのは、未だ様々な分野において未解決であり、そこに夢が立ち現れる訳なのです。 

未来はいつも『青写真』から始まるのです。
この曲はあの頃も今でも変わらずそんな『青写真』のイメージ。

先程までの強い意志を秘めた『青』だけじゃなくて、その様な『青さ』を雨宮天 さんの『青』もしっかり内包している様に感じるのです。 

その青は笑顔のち涙、きっと何度も揺らめきなが ら未来へ広がっていく気がします。これから、どんな青写真を描きどん な未来に青いインクを落としていく のでしょうか。

なーんて以前書いたことがあるんですけれど、そうだなーって思えたので引用。

長くなりましたが、この曲のはそんな「うまくいくかわからないという怖さが最初にあって」の部分にあたる曲かなと、このパートの流れでは思えたのでございました。


04.Glitter

久々の深呼吸だったなーつって。

まぁ曲中は紡がれるその世界観にたどたどと、深呼吸というよりは詠嘆の念を少し遅れて吐き出すばかりなんですけれども。


1stライブの“Various SKY”で凄く気に入ってて、今日のライブで気になっていたのがステージのスポットライトの演出。


長くなりそうなので“Various SKY”の時にこの曲のスポットライトは別記事に纏めているんですけれど、今回もそんな世界観の演出で「これだよこれ」とうちひしがれるのみだったのでございました。


簡単に述べますと
Aメロライト内側 
サビ外側 
深呼吸自分のみにスポット
トゥルトゥル四方へ
Cメロ笑顔でゆくんだ暗転、内向きのライト 
サビにかけフェード気味に外へ    
サビ外側 
深呼吸自分のみにスポット
トゥルトゥル四方へ
ラストゥルけだるげ

はー、伝わらんもんですな(平泉成ボイス)


「こうしたい」という気持ちはあるけれど、まだ解決しきれていないもやもやした感情に苛まれている様子」の主人公がもやもやを抱えながら、「笑顔でゆくんだ 今日も笑顔でゆくんだ 自信なんてないけれど」と明日へ向かいつつ、でも未だ葛藤はあるという物語はとても魅力があって、そんな景色を連想させる様な演出。

「声優としての特権」と、その曲の主人公の気持ちを歌いたいと語る雨宮天さん。

 

「歌詞からは、「こうしたい」という気持ちはあるけれど、まだ解決しきれないもやもやした感情に苛まれている様子を受けたので、歌い方も気だるくあいまいな歌い方を意識しました。」

 

というのがとある雑誌で語られていた事でして。

 

何が言いたいかって、この曲には『気』と『氣』がせめぎ合っている様な印象をずっと持っていたんですよね。それは先程の別記事に。

 


うまく言えないけれど悔しくなるけど 最後の「トゥルトゥル」が新しくまた違ったものに感じられて。客席に背を向けるように歩きつつ、片手マイクで。
あれ、リリイベや“Various SKY”の時こんな感じだったっけって、また曲の世界を膨張させたな!ってグサグサしてました。


この曲はこのパートでは「その葛藤があったうえで」を担うところかなーって。

05.RAINBOW

不安や葛藤が虹へ続いていたのが、お弁当箱に収めきれないくらい嬉しくて、目眩がするくらいぐんにゃりして。

 
無声慟哭ですよねぇ。
なんか次曲そうなのかなって予感せられ、「バリア、バリア」って胸の前で手をクロスさせる様にバインダー抱えてたんですけれど、実際歌いだされた途端に永井豪作品ばりの消失でした。
曲中の笑顔
 

こうして今、自分の欠点だったネガティブをエネルギーに変えられているというのはすごくうれしいことですね。

 

挑戦しているときはすごく苦しいし、つらいけど、でも楽しさもあるし、挑戦している自分じゃないと自分のことを嫌いになってしまうんだろうなって。

 

あの記事は実はそう続いていて。

 

 

はー、バリアバリア

 

 

曲終わりが手を伸ばして終わるところが凄く好きです。


MC2


06.GLAMOROUS SKY/ NANA starring MIKA NAKASHIMA

カバー1曲目を飾ったのは自身が主演した映画『NANA」の主題歌として中島美嘉さんが「NANA starring MIKA NAKASHIMA」名義でリリースしたこの曲。

「そして、1曲目はご存知ですかね?『NANA』の主題歌で、アニソンじゃないんですけれど『GLAMOROUS SKY』という曲でして。"スカイ"つながりでね、歌わせて頂きました。」

『NANA』凄く懐かしい…よく姉の部屋から漫画借りて(許可は家族だから取ってない)読んでたなぁ。
セットの2階でマイクスタンドに重心を預け脚でリズムを取る。

時にマイクスタンドを揺らしたり。
その姿を下から見上げる、かっくいい…。

歌い終わり、喉を絞るというか濁らせる様に締めるのがぐるぐる。
ああ、あの虹を渡って あの朝に帰りたい
 

07.熱情のスペクトラム/いきものがかり

御本人もエリザベス・リオネス役で出演されたアニメ『七つの大罪』のオープニングナンバー。

1月からね、またやるんですけれども。今絶賛アフレコ中で、それも兼ねて1月から放送スタートを染み込ませるために(笑) 」

自分も出演されているアニメの主題歌をカバーして歌うって、何かいいですよね。

Aメロでマイクを取り1.5、そして1階へ。

Cメロでの感情、感情の込め方がとても好きでねぇ。こちらの感情も揺さぶられるような。

役者だなぁって。

08.High Free Spirits/TrySail

 

びゃー。
 
イントロを聴いた瞬間「あれ、なんだっけこの曲」と頭がとまってるのと裏腹に身体は動いてるし最高にサプライズでしたね。
 
“Various SKY”の頃からTrySailの曲をカバーしたいって思っていた、という御本人。
 
間奏の普段TrySailとして歌う時夏川椎菜さんが「横浜ー!」とか「福岡ー!」とか「あざぶじゅばーん」とか叫んでるところを敢えて叫ばないで(詳しくはMC)、こっちは「…ん゛んぬ゛ぁ゛!」ってなるところまで含めて、完璧に手のひら上で転がされていた。悔しい。
 
 
Music Rainbowでの『最高速FallinLove』ソロver.もそうだけれど、1人で歌いこなしてるの凄い(素人並感想)。

MC3


09.月灯り

イントロのシルエットが狂おしいほど好きなんだ(ゴロゴロ)(まだ転がってる)

特にこの曲は中野2日目の完成度がとてつもなくて、ずっと観てたかった。9000年くらい観てたかった。頼む、人類。

星空密やかに浮かぶ夜空、上手側に昇る月。

その月に灯された想いに照らされながら、ゆっくり歩みを進めるように、その曲は歌い出される。
「月」には「眺める」という動詞が似合う。

古くから人は「眺む」行為の先に、月の情景と共にその奥に隠れたモノを感じる行為として和歌の中で月を詠(なが)んできた。
 
人は遠くを眺める時に必ず立ち止まる。それは何も景色に限った話ではない。
人は昔から立ち止まりに月を眺めるのと同時に心の奥底を眺めては時に遠くの大切な誰かを想い、時に自分の歩いてきた人生の痕跡を月灯りに融かしその景色に留まってきた。
 
しかし、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとしと鴨さんがいっちにいっちにと1212年に方丈記に記した様に、立ち止まってばかりではいられないのでございます。

確かに古くから人は月を眺めるのと同時に心の奥底を眺めては時に遠くの大切な誰かを想い、時に自分の歩いてきた人生の痕跡を月灯りに融かしてきた。

 

だが、それだけではない。

 

その融かした想いは青信号となり進むべき道を示してくれる。

また、その人の中にある前向きな潜在的エネルギーに何かしらの燻りから火が灯された時、そのエネルギーはその先に向かう限りない推進力となって向こう側へ押し出してくれるだろうと。

 

 

以上、私は月灯りが信号だなーって思えておるのですけれども。


1番を歌われている姿と重なったのは、そんな内に秘めた「青信号」、意志に導かれ進む姿なのでございました。

 

然れども2番になるやBメロで月は消え、内に月を宿しながらも立ち止まるのでございます。

それはさながら先に述べた「ながむ」という行為。
ラスサビ前、月昇るは昇るも消えていく。

最後は正面を向いて青白い意志を纏う。
優しく照らすのは天頂に来た月。
ただただそのシルエットが美しかった。
9000年待てるから映像が欲しい。

10.コネクト〜ジャズアレンジ/ClariS

メロディーが流れ出し、下手に置かれた、書斎の小脇にありそうな棚にかかっていた上着を羽織る。

上着に入ってしまった髪をかきあげ肩口に流し下手側の階段をあがり、1.5階へ。
静寂に溶け込む様に床を打つブーツの音が、とても心地いい。

中野2日目だけ、雨音というか街の雑踏が入ってましたね。

歌われだしたのは魔法少女まどか☆マギカのオープニングナンバー、『コネクト』。
ジャズアレンジされた調べは、迫る二つの月に妖しく融けていく。

ご自身も七海やちよ役で出演されている『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』のご縁もあり歌われたというこのナンバー。 
 
予想外のナンバーにこれなんだー、これなんだーと客の脳内テンパーv(’-’)year
 
・・・。
 
後ろのカーテン、かな、がライト浴びて僕には2つの月に思えたのだけれども、この月それぞれの意味するものまで考えだすと面白いかなっていうくらいファンタジー感。
 
上手からワルツを踊りながら登場するダンサー
 
「…!! ズームアウト!ズームアウト!ダンサーさんと下手の壁が映るようにズームアウトして!」とけたゝましく告げる僕の視認機関。
 
両方が入る様に視界を調節ししぼりをしぼると下手側の壁影がめちゃくちゃ魔女っぽい。なんだあれ!誰にも伝わらねぇ!なんで!

11.羽根輪舞

暗転している間にステージ上に現れたのは、ソファーに端に寝転ぶ様に脚を乗せ座っている雨宮天さん。


これなんだー、こ(略)v(’-’)


動揺してる合間に開演。

“Various SKY”の感想を読んでいると、やっぱりこの曲はこの公演で新たな印象というか見方を与えてくれたなって。

“Various SKY”の時は黒い傘を持ったダンサーさん達が登場して、下手から真っ白な、つゆ先にぐるりと羽根をあしらった傘をさして雨宮天さんが登場。

この“Various SKY”の時は歌詞と相まって、僕のイメージ的には訳あって故郷を追われ流れ着いた土地で優雅に寂しく思いを馳せ歌っている様な感じだったのですよね。

歌われるのは新しい場所に踏み出して、飛んでいくこと、青へと手を伸ばす事の怖さや不安、美しい情景の中で紡がれていて素直に綺麗な曲だなと。

でも今回はほーーーーんっとに新しい視点で。
まず歌っている人のイメージはリッチというか富や名声にお金、割となんでも手に入れた人。
そんな人が世の無常、儚さを皮肉気味に憂い歌っているようなイメージ。

(イメージ的にライブ中浮かんでメモされていたのは1167年に太政大臣となり貴族的な生活をしていた平清盛。伝わりすぎて全平氏が涙した)

だから1つの曲でただ見せ方を変えるだけで歌われてる景色も大きく変わるんだなって、それが衝撃的で。

一ノ谷の戦いだよね。
ずるいよね。

1番サビ終わり間奏、上手手前のダンサーさんがジャケット直す、これを名古屋で見てから本当に楽しみで。完全に女子だったね、あの時の私。

ダンサーさんと言えば間奏がもう詠嘆もので。
しっかしここまで終始寝転んでいる雨宮天さん。

ダンサーさんの手をとりそうでとらない、っていう箇所が絡みの頭にあるんだけれど、この歌い手を先に述べた様な人物設定にした場合、手に取りそうで取らなかったものって何だろうって考えると面白くてね。

ダンサー→歌われている慕情→羽根
みたいな。
少し冷めてる感が歌う姿にも見られて、なんだこれってずっと頭の中に流れていたんですけれども。

その間奏部分は他にもハットを差し出されて、客観的に品定めした結果拒否したり、次に差し出された青い花は、気に入った様で香りを楽しんだり大切そうに持ったり。

この人物主人公にしたミュージカルを、頭から観てみたいなって心底思ったのですよね。
次の公演いつですかね。

12.irodori

ソファーから、立ってる…。
 

ソファーに映る影がたまらなくたまらんです。

 
前曲の『羽根輪舞』と並べて、歌われている2人を「寝転んで皮肉そうに見ていた人、本当にやりたかった、なりたかった自分」って置き換えると胃が重くなりました。
 
2番Aメロ「言葉」のアレンジ、「ことーばぁ…」みたいな「息…」ってびゃーってなる、ライブならではのびゃーっていうアレンジがアレなかンジでびゃーです。
 
『Glitter』や『熱情のスペクトラム』、『羽根輪舞』でも強く感じたけれど、表現力というか世界観をそのステージ上に体現する様な感じが昨年より増してて、言葉をもたない僕はどうしようもなかった。
 
本当にこの曲に描かれている1つのショーを見てる様で。
 

「歌手になりたいという夢を追いかけてきた人が現実に直面し、悲しみを抱えながらも力強く歌い続ける、そんなイメージのMVです。」

 

「赤い衣装の子は“ここは自分のステージではない”と思いながらも気丈に振舞っていて、白い衣装の子はその子の内面なので、どこか弱々しくおびえています。」

 
以前そう仰っていて、そうなるとダンサーさんはやっぱり囃し立てる様に見ているカラス陣営。
 
 
めちゃくちゃ勝手に考えて鳥肌が立った所が1点あって。
 
この曲は先に御本人が述べたように赤い子と白い子の2人の対比になっていて、ラスサビの前に
 
凍り付いた 湖の底から
悲しげに こっちを見ている
“あなた”は誰
 
っていう歌詞があって。
これがまず、どっちがどっちへ向けてなのか、ってのと
さっき述べた通り、この曲はソファーに映る影がめちゃくちゃたまらんのですが、「密やかなブルー」では影が映らないのですよね。
 
(感じたのが最終日だったから確かめる術なく、僕の角度から見えなかっただけかもしれないけれど)
 
そして最後この曲は歌い手がソファーに腰掛けて終わるのです。
 
「じゃあ、最後に座ったのは誰?」なんだ、つって。

MC4


13.After the Tears










MC5


14.Skyreach

 
「これから」の始まりがこの曲で嬉しかった。
 
オイオイ楽しい
 
早着替えしたり曲中にダンサーさんの紹介もしたり、あのマイクスタンドもなくてねー。ダンサーさんもいて新しいというか、二期はじまるよみたいな感じ。
 
終わりのシルエット、雨宮天さんだけが浮かぶ照明の使い方めちゃくちゃカッコいい。BDのジャケットにして。

15.ASH


なんか、こう、なんだろうなぁ。

前MCから『Skyreach』の流れで感じる「これから」の夜明け感がこの曲のイントロに凝縮されている様で、溺れるしかなかったなぁ。


とまってた蒸気機関が静かにその内に熱を宿して、やがて煙を上げて動き出すようなそんなイントロがとても強エネルギーで。

どうしてもやり過ごせそうにない朝とか、よくこの曲聴いてるなぁ。

うまく言葉では言えないけれど、空へ手を伸ばす姿であったり、なんか凄く歌詞と御本人が重なって、「堕ちない」なって。前だったら多分「堕ちないでくれ」って思う気持ちもあったかもしれないんだけれど。

めちゃくちゃかっこよかったんだよなぁ。

16. Marvelous scene

台風みたいだなーって観てました。
台風のように雲、ダンサーさんを周りに纏いながら移動していく。

それでCメロに雲を払いのける様な振りがあって、広がっているのは台風一過の“絶景”だったりするのかなって。

 
慟哭しながら手を空に伸ばして握り獲るラストがたまらんとです。
 
 
曲作りについて自分のものにするために何度もスタッフさんと話したって仰っていて、結構そういうスタイルというかこだわりで御自身の音楽活動を展開されていて、それは凄いことだなと思えていて。
しばし「作詞に挑戦して欲しい」って声を聞いたりして、御本人がどう思っているのかは知らずに、もちろん挑戦されるなら壊れるほどに受け止めるけれど(駄目じゃん)、現状の、「作曲作詞自分でやって〜…」っていうよりも、クリエイターを置いて自分の意思を伝えて創ってもらいながら自分の意志を顕していくっていうノンフィクションにフィクションを創っていく作業、 そこから生まれる感情とか本人じゃないから分からないんだろうけれど、なんか漠然と凄いことやってんなって思うのです。
 
なんか、凄くてかっこいいんですよ。

MC6


17.Eternal

ラスボス感あるこの曲。
そのせいか、この曲前にMCがあった関係で毎回イントロまで顔はステージ向いて体揺らしつつペンは殴り書きしてるんだけれど、「なんか冒険の書書いてるんやが」感が凄かった。
あと曲中にノート挟んだバインダー抱えているとめちゃくちゃガッシ◯ュベル感あった。凄かった。
Music Videoでは青を纏い微笑みを浮かべる女神と、真っ黒い砂漠に堕とされ嵐の中を何かを訴える様に強く睨みをきかせながらさまよい歩く漆黒を纏った様な人物の双方対照的に描かれています。
 

この曲に描かれる青を巡る物語は視覚的にとても分かりやすく、僕が青に抱いているイメージの1つと合致するのですよね。

 

1AメロBメロでは青の女神が漆黒に堕ちた人物を誘う。

 

青、手が届かない理想を表す色。遠さの色。

でも、どこか優しく包み込んでくれる色。

 

Music Videoに登場する女神を「聖母マリア」として見てみるととても分かりやすいでしょう。 

 

絵画の場合、聖母マリアは必ずと言っていいほど青いマントを羽織って描かれていたりします。 

スクロヴェーニ礼拝堂を例として、教会のステンドグラスにも、多く青が用いられていますよね。めちゃくちゃ行きたい。 

 

やさしい風のそよぎがわたしの胸にまつわるとき、わたしの全存在は、声をひそめて、耳をかたむける。

 

遠い青に心を奪われて、わたしは、あるいは空のエーテルを仰ぎ、あるいは聖なる海に目をそそぐ。

 

するとさながら、わたしにはわたしに近しい霊が

双の腕を開いてわたしを迎えてくれるように、孤独の悲しみが神聖に充ちた生の中へ融け入ってしまうように思われるのだ。

 

ヘルダーリンの『ヒューペリオン』の一節です。 

 

まさにこの叙情詩で詠われている様な優しく融け入る様な/迎え入れられる様な心地をMusic Videoにおける青の女神の微笑みに感じられます。 

 

謂わばこの聖母マリアの青が包む世界は「理想」の世界です。 

理想→遠い世界

 

つまりは彼女は黒の人の「理想/在りたい姿」を顕す存在だという事になります。 

 

そして彼女は黒の人物を導く様に青の世界(=  )へと誘うのです。

そこは黒の人物が真っ暗な砂嵐が吹き荒れる現状から辿り着きたい世界。 

 

 

そして1番のAメロとBメロで紡がれたその誘いはサビの「本当は現状に抗いたい」という真っ暗な世界によって塗り潰された意志と言う名の影を地面から呼び起こし、感極まった悲痛にも似た叫びに繋がり砂嵐を巻き上げていくのです。 

 

「レコーディングがとくにサビが激しく、叫ぶ様なニュアンス、心の底から唸る、悲鳴にも似た、そのニュアンスをどうやったら出せるか」

 

以前出演したラジオ番組でその様に仰ってたのを思い出します。 

 

そして一方で2番のAメロBメロでは、同じメロディーラインの1番では青の女神側の誘いだったに対して、その誘いを受けて黒の人の内に芽生えた慾、「理想」と現実に苛まれながら抗いたい心、エゴ、意志、黒の人側の歌詞に感じるのです。 

 

さらに僕がこの曲で好きな点としてはこの多少の憂いや迷いを内包したメロディーラインが、黒の人の内に意志が芽生えた後に再び登場することがなく、その意志に流される様に悲痛な叫びという轟音を轟かせながら濁流となり緩やかに大サビ流れていくという所にあったりします。 


うん、この言い回し伝わんねぇ。

 

AメロBメロが再登場することなく、大サビへと流れるということです。

 

ここまで考えてみると、この曲の世界観はとても身近な現実感のある自己の世界に感じられます。

 

 

しかし、御本人は「非現実感を出す」「ファンタジーの世界」という言葉で表するのです。 

それはその通りで御本人が感じるその「非現実感」も確かに感じるのです。

 

 

「理想への誘い」や「抗いたい心」、「意志」に熱せられるって実際問題現実でもしばしば直面する問題ですけれど、悲痛にも似た叫びをあげれることってなかなか非現実的なものだったりして。


御本人が感じるものとは全くの虚像ですが、僕はこの曲の「ファンタジーさ」ってそういう所にあるのかなって感じたりしました。

 

ヒトはモノとして存在しているけれど、ふと何かの拍子に「モノノケ」になれる。

 

御本人が「羽が生えててもおかしくない」と仰っているのはその点の様に感じられる。

その羽、その怪こそ僕は青という色が内包する「意志」、なのではないかと思うのでございます。


〜Encore〜

18.チョ・イ・ス

「盛り上がっていきましょう!…せーの!」という号令の下、そよぎ出したのは優しい風。

 
ぐんにゃりとしていく思考。
 

上手下手、高さを変えたり、身体の向きを変えたりして、狙い撃ってくる雨宮天さん。

最後の方になるとノリノリで、腰落として狙い撃ったり。

好き。

 
(人差し指を一点に)チョイスではなくて、(左から順に振って)チョイスと読んでください。」
 
そういう遊び心が満載な曲に載せて軽やかに歌う雨宮天さん。

どの選択肢もチョイスじゃなくて、チョ・イ・スであって。
上手くよりずっと本気でありたいなぁ。

19.Fleeting Dream


振りがついたことで「振りーてぃんぐどりーむ」と化けたこの曲。
1回やれば覚えられる、4歳の僕にはとても優しい。

振りをちゃんと出来ると、サビ終わりに全身で褒めてくれる。

まる(なごや)
おっけー(なかのしょにち)
さいこー(なかのふつかめ)

ばー。

書くか迷われたのが名古屋公演で、うーん。
振りを一緒にやれたのが嬉しかったのか、2番Aメロの歌詞がとんじゃって「ラララ」で繋がれた場面があって。
あの時は笑顔で最善の対処をされていたけれど、多分御本人のことだからそうとう悔しかっただろうし「声の調子が〜」とか含めて御本人が1番分かってる反省点だろうからあまり僕らが言うものじゃないと思うから普段だったら言わないし触れないけれど、今回想してもあの「ラララ」は、なんだろうな、上手く言えないけれど間違いなく、あの「幸せ」を構成する重要なファクターだったと思えるというか。

何が言いたいって、そういうのも含めて発露された全部受け取れるのが心底幸せなのだって、あんまり気にせんといてくださいっていう話。


間奏でのメッセージも印象に残っていて、特に中野初日の「もっと絶対絶対 楽しい時間を 過ごしていきましょう 」が、特にかなぁ。


中野2日目では大サビ前に「いくよー!」の声。

楽しかったなぁ。

MC7


20.Silent Sword

びゃー、やっぱりCメロ前のダンサーに振りをなげて折り返しで戻ってきて歌い出すあそこ、ダンサーさんと連動したあそこが狂おしいほど狂おしいのですよ。

間奏のあの、フード被った人が踊ってそうなあのダンス(伝わらない)めちゃくちゃ好きなんですよね。なんか、カッコよくて似合うなぁーって。

最初から最後まで攻め攻めだなーって。

そんでもって、これが2018年の攻め始めでもあるのかなーって。
アグレッシブだなぁって。



〜W Encore〜

21.RAINBOW


「ありがとうございますー!!!最後にまたもう1回みなさんとRAINBOWやらせてください!」

RAINBOW、天邪鬼だからあんまりストレートに「虹」って解釈に首傾げで。
だってあんなに青好きな人が「全ての色が欲しい」と言うかなつって。
ただそれはこの曲、このアルバムの結論として絶対ブレないところなのでそこへのこじつけ。
この曲について御本人がどう思っているのかは抜きに、勝手な解釈なんだけれども。

僕には虹というより合板に思えるのですよね。
まずあるのは御本人を表す青い板があって。これは単板なので割れやすい。
そこでこの板の強度を上げていく為に合板なんですよね。

違う板(挑戦)を組み合わせていく、挑戦ということは外へ求める訳で内に現存しないモノ、つまり内に宿さない他の色なんですけれど

つまりは結論としては「(色々な挑戦を通して自分の内包している青を強くするために)全ての色が欲しい」となり、それがこのアルバムのリード曲たるAbsolute Blue、この先に繋がっていくのかなと、今日のライブで遠のく意識の中最期に思ったことなのでした。

MCでもスタイリストさんやマネージャーさんのお話が出てきたり、雑誌の編集後記的なスタッフさんの小話、ラジオの構成作家さんとか、音楽スタッフさんとか、今年はなんだかそういう『味方』の人たちと本当に楽しく作り上げていっているのだなというのを実際に見聞きしたりもありつつ、とても感じたなぁって。

なんだか、良いよなぁ、そういうの。
そういう楽しそうにやってるの、漠然とした言葉だけれど嬉しいなぁって思うのだ。


正直、まったく覚えてないのだよな。曲中のこと。

嬉しくて嬉しくて。
愛おしくて愛おしくて。
泣けて泣けて。

(ダブルアンコール後MC)

 

「今日は本当にありがとうございました。何を言えば良いのかな…いやでも……や、垂らしてないから!(笑)

 

あの、うん、なんかあのー、いっぱい、今年いっぱいいろんなことあって、大変なことあって不安だったんですけど、この日のために頑張って来たんだなって思いました。皆さんが応援し続けてくれる限り、こうやっていろいろな形で自分の声を届けられるよう頑張りたいと思います。だから、これからもよろしくお願いします。

 

もう一回、自分の声で気持ちを伝えたいと思います。

 

 本当に、本当に、本当に!ありがとうございました!!!


 

書いていくと言いたいことを言えない気がするので先に言っておく、めちゃくちゃ幸せだ。大好きな人を大好きな人たちと悩んだりしながらも応援できて、めちゃくちゃ幸せだ。
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「マレゴト師」という仕事を御存知だろうか。
 
宮藤官九郎や阿部サダヲ、今ではすっかり人気者の星野源が所属する大人計画という劇団の昔の作品に「ドライブインカリフォルニア」という名作があり、その中にこの「マレゴト師」が登場する。
 
マレゴト師の役割は平和すぎる村にわざと災いをもたらし、刺激を与えて生活を活性化させることだ。
 
特に2017年の雨宮天さんの攻める姿勢は、本当にこのマレゴト師だなと感じたのですよね。
 
ありがたいなーって、幸せだなーって。
 
そう思いつつも、勝手に苦しかった1年でもあって。
 
「皆さんに返していけるように」って仰ってくれるけれどいつもくれるものが大きすぎて、どうやったら返せるのかなって、どう受け取ればいいのかなって、何が適切な言葉と態度なのかなって、どうすればもっと幸せになってもらえるのかなって。
 
もらってる割に「頑張れてないなぁ」って、もちろん僕なりに頑張っているつもりだけれどだんだん自分の味方を自分がしてくれなくなって、そんな時にいっつも力をもらってて、なんだかそれもなんだかなぁって。
 
貰ったものの存在をしっかりと本物に出来ないのが情けないなって。
 
一方的に返し合う関係だからこの流れが正しくて、今はもらった質量が大きすぎるのと日が経ってないからめちゃくちゃ幸せだけれど、多分それも嫌なことあると薄められちゃって、多分そこが満たされることって一生ないんだろうけれど(´×`)
 
 
でも、なんだろうなぁ、昔の僕だったら多分そこに負けてて拗ねて腐って井戸底に籠って絶望と倦怠の海に溺れていたと思うんです。
 
恥ずかしいことを、他所様頼りを言ってるの百も千も承知なんだけれど、僕は間違いなく雨宮天さんのお陰で「それでも」って思えるのだ。
 
見上げた青さに吸い込まれるように井戸を出たらさ、同じように悩んでる人がいたり同じように好きになっている人がいたり同じように楽しんでいる人がいて、ドッキリかってくらいよくしてもらえているのだ。
 
モチベーションも安らぎも交友関係も全部もらったものなのだ。何を返せるだろうか。
 
多分それは見つかるものじゃなくて、そんな気持ちを車道側から追い越して、本当に目の前の最善を一つ一つやっていくしかないんだろうな(´×`)凄く悔しいんだけれど。
 
 
だから僕は花のような言葉を届けることができるようにこれからも書くのだろう。そんで届いた言葉が木漏れ日のように笑ってくれるといいな。
 
これっくらいのお弁当にこれっくらいのフレーズなんぞに感情の全てをそいっと詰め込んで、美味しいものをちゃんとお返しできたらなと思う。

2017年最後のブログで「味方でいてくれていた人を味方だと私がちゃんと認識出来た」って仰ってくれているけれど、多分僕が「この人は味方なんだ」って本当の意味でちゃんとそう受け止められたのはあの景色だったのだよな。
11月の例のブログであんな風に寄り添ってくれているけれど、僕はどうしても「自分はこの言葉もらう資格あるのか」ってなっちゃって。あまりこの時は「味方でいてくれてるんだ」とはなれなくて。

でも今ならちゃんと、ようやく純度高くて受け取れた気がするのだ。
 
 
自分の問題は置いておいて、問いの内に留まることが多分今は最適解で、そこから目を背けちゃあいけない気がするのです、今は。
 
やれることを頑張っていかんとね(´×`)だから2018年の目標は「しっかりやる」です。
 
 
思えば2017年は振り返ってみれば、やりたいなって思ったことは一応ちゃんとやれて、大きな後悔ってそんなにない気がするしそれって割と僕の中では革命的で、なんか2017年は本当に楽しかったのだ。
 
 
なんか思えばたくさん嬉しいことももらった気もするし、今年もらったものはちゃんと返していかないといけないので、頑張って長生きしようと思います。ちりつもだかんね。
 
そうか、9000年くらい生きれば返せる気がするし、ライブ映像も発売される気がする。
 
後先9000年くらいは、自分の力で良いお年にしようぜ。
 
積もる話はそんなとこで。
なんだろうな、もっともっとお伝えしたいことはあるのですけれども、多分それは口に出して返すべきものじゃないことだったり、僕らの立場じゃ言うことではなくもっと身近な味方の方に言ってもらいたい言葉であったり。
 
 
「あの時出逢って良かった」、「周波数があって良かった」なんて思うのはもう少し先の未来までとっておこうと思う。出逢わなければ良かったなんてことは一度も思ったことないけれど。
 
 
うーん、やっぱり上手く何も言えなかった。
今年すごく感じたのだ。「何だか分からない。」
何だか分からないくらい、めちゃくちゃ幸せだ。
 
 
気づいたら僕のいない時間軸では年が明けたそうで、なんか実家のコタツでごろごろしながら家族に「泣き虫ゴンスケ」と20年ぶりくらいのあだ名で揶揄されるくらいぽろぽろしてる内に大切なこと言いそびれてました。
 
 
お世話になりました、ありがとうございました。
来年も、よろしくお願いしますね。
なんか自分の話ばかりになっちゃったので追記。
例えば最近出演された「謎解きゲーム」だって出演してくれなきゃ縁遠い世界だったと思うし、漢字とか昭和歌謡とか青とか、新発見だったり見つめ直す機会をくれるのもそうだけれど、御本人がやりたいことを前提として結果的にそういったものと繋がるキッカケをくれるのはありがとうだし、「次はなんだろう」って本当にいつもいつも楽しみなのですよね。
来年も楽しみ!って気づいたら毎年思うようになってて、それはとても有り難いことだなって。
僕は正直御本人にどうなって欲しいとかってなくて、何だろうな、とにかく、変な言い回しは僕の悪い癖だから、極論はさ、幸せになってほしくて。
 
僕に居ていい場所を、居たい場所をくれて改めてありがとうございます。
来年もステキな味方の皆さんと幸せへ向かって真っ直ぐ突き進む姿を、いろんな物を受け取れるのを楽しみにしております。
 
僕も頑張りますね。
そうだね、今年こそは依存しきりにならないよう頑張らないとね!
 
星よりひそかで、雨よりやさしいあの時間に想いを寄せて。 

(この文を書いたやつとは友達になりたくないなと思った2017年12月34日)